さあ選挙だとなると
政治に関わっているのでもなければ
意見になんの影響力もないはずの人たちとか
政治学や政治史や政治思想史を多少は学んだ末に
とうとうある考え方や立場に行き着くことになったというわけでも なく
政治についての根拠ある定見もなさそうな人たちまでが
あれやこれや言いはじめて
いつもながらのかしましいおしゃべりとなる
最近はネット上の伝言板があれこれあるもんだから
政治的にまったく無名の人たちが大はしゃぎ
政治のことならなにもかも分かり切っているといわんばかり
自信たっぷりに熱烈に持論を展開したり
政治情勢観察や分析や批評をしたりするのならば
自分が立候補すればいいのに
そうでなくともどこかの党員になって本当に働いたらいいのに
と思うのだが
そうしないで書き込みばかりしているのは
なんでかな?
国民こそ主権者なのだから
自分たちがあれやこれや言うのはあたり前じゃないか
むしろあれこれ言い続けないといけないんだぞ
というわけで
そりゃあもっともにも聞こえるけれど
主権者たる国民というのは
じつは
個々のあなたやわたしのことでは全くないのだというところに
近代民主主義代議制のおそろしい事実がある
国民nationとは集合名詞でしかない
国民とは結局のところ与党であり政府のことで
どこまでいっても
腰をまげてヘラヘラ作り笑いして
権力の裾野に掌を擦り擦りしヘイコラしていかないような
そんな
あなたやわ たしは
そんな
あなたやわ
制度の実質的運用上の事実として
近代民主主義代議制からは
無視され続けていく
もちろん
だからこそ
あれやこれや言って
いつもながらのかしましいおしゃべりとなるのはあたり前じゃない か
投票数という抽象的な数字として扱われるのを除けば
ほかに政治という舞台に関わる方法は本当はないのだからな
という
破れかぶれの一場の狂い舞いをしたくなる気持ちも
わからないではないものの
けれどね
もう何十年も見てきたんだ
同じ光景
同じ騒ぎっぷり
…なにかいいほうへと変わりましたか?
その時代時代の人々の
口角泡を飛ばしての騒ぎっぷり
議論に次ぐ議論
路上に出て
議事堂前に出ての
日夜を通して大声張り上げての期間限定のヒーローっぷり
…なにかいいほうへと変わりましたか?
思い出すのは
ブルボン正統王朝主義者の貴族
保守中の保守の立憲主義リベラリスト
ルイ18世治下に外務大臣なども務めながら
時代錯誤の頑迷な極右王党派らに抵抗して
印刷出版の自由のために身を挺して戦い続けたシャトーブリアンの
1848年の二月革命勃発の報を聞いての一言
「それで、なにが変わりますか?」
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