2017年10月14日土曜日

『シルヴィ、から』 40

 複声レチタティーヴォの連続のみから成るカンタータ叙事詩
 [1982年作]   

 (第二十一声 シセル篇) 1

 
 よく思い出したな。その通りだ。たしかにシセルという名だった。わたしがいっしょに暮らしていたその娘というのは。
その頃、わたしは、ある塔の下で暮らしていた。銀色に輝く金属製の円錐形の塔、高さはふつうの建物の三四階建てほどもあっただろうか。
底は、高さに見あった安定感のある、なかなか広いものだった。どうやら、中は空洞だったらしく、叩くと、こおん、こおん、という空ろな音がした。その中に入れば、広い教室ほどの空間が得られたかもしれないが、どこにも入口はなかった。巨大な円錐形が、なんの細工も加えられることなく、投げ出されていたのだった。
見慣れない者には、これはおそらく、ひどく奇妙な光景だった。
そこは原野で、四方八方の彼方まで、地平線に到るまで、人間の腰ほどの背丈の草が地を領していた。
どちらを見まわしても、大地には緑だけしか見えなかった。
かろうじて、塔のまわりにいくらか裸の土地が広がっているばかりで、その土の上にわたしたちは、山のキャンプでよく見かけるような、ごつごつした大きな木のテーブルと、丸太をそのまま切り分けただけの椅子をいくつか置いていた。
草以外なにひとつないこの土地にあって、わたしたちはどうやって丸太や木材を手に入れたのだったか。
今のわたしにはそれはわからない。
そればかりか、いつ頃からそこで暮らすようになったのかもわからないし、どうしてそんなところで暮らすようになったのかもわからない。わたしの記憶がたしかならば、この塔の下で生活しているということを意識するようになった時、その時にはすでに、そこで日々を送るようになっていたのだった。
ごく当たり前のようにも、訝しげにも聞こえるだろうが、このようにしか、わたしには表現できない。したがって、ーーと言えるかどうかわからないが、一体、わたしがどこからこの地へやって来たのかもわからないのだ。果てと言っては、地平線の他なにひとつない草原の中の、この妙な円錐の下へ、一体、どうやってわたしはたどり着いたのか。ひょっとしたら、わたしには他にどこか行くべき場所があって、その途中でたまたまこの円錐の下に立ち寄ったのだったかもしれない。
いずれにしても、すべて忘れてしまった。すべて忘れてしまっていた。わたしは塔の下でただ日々を送っていたのであり、行くべきはっきりとした場所も特になく、また、この塔の下で為すべきことも、これといって特にないのだった。
しかし、漠然とした事柄ならば、わたしはつねに心に抱いていた。はっきりとしたかたちで思うことはなかったが、言葉にもならず、意識にも上らないかたちでならば、ある考え、あるいは予感を、つねにわたしの中のどこか深いところに抱いているのだった。
おそらく、わたしは、この塔の下での生活を、一種の待機の状態、待っている間として考えていた。なにかが、いつかわたしに訪れるはずであり、なにかがやがて起るはずだった。そのなにかを、植物のように静かに、規則正しく食物を食い進む幼虫のように時間を噛み砕きながら、あるいは、ひとつところにじっとして時を待つ薄汚れた蛹さながら、この塔の下に居座って待ち続けているのだった。
わたしもまた、ある詩人のように、くり返し呟いていた。「待ってる、待ってる、待ってるさ」と。
この呟きをふと小耳に挟んだ時など、口元で笑いを押し殺しながらも、よくシセルは言ったものだった。
「それじゃ、わたしは一体なんなのかしら?」
……なんなのかしら?
なんだったのか、本当に。
シセルとは?
シセルとのあの日々は?
あるいはまた、ああいう生活を送った、このわたしとは。

   (第二十一声 シセル篇 続く)



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