2017年10月14日土曜日

ぼくの額の骨の裏側に


人が群れ集っているところでは
大きな方向性を決めたり
力のぶんどり合いをあからさまにするために
ときどき
夕暮れの鳥たちの群れのようにかしましくなったり
たがいにからみ合ってのたくり合う蟹たちの山のように
やわらかいのだか
かたいのだか
夜も昼もうごめき続けていたりする

雌雄がどう決するか
見続けたり
どちらかに手を添えたりするのが
とても大事だと言い張る一過性道学者もたくさん発生し
群れの中の一体にすぎないと自覚することが
人としてあるべき最重要時と吹き込まれ続けたりするのだが

喉の奥にむりやり手を突っ込まれたような感じに
オェッとなり続けながら
ぼくはそのたびいつも確認する
だれからも見えないぼくだけの意識のなかで
だれにも大事でないぼくだけの奇妙な物語の展開していくさまのほうが
群れのどの山に力が掻き集められるかよりも
はるかにぼくだけには切実
大事

こればかりは
ぼくだけに懸かっていて
展開のさまをぼくだけが詳らかに追うしかない
どんどん変わっていく物語をぼくだけが生きていくしかない
群れのことは群れのことしか大事に思えない人たちが捏ねくりまわすが
ぼくの意識のなかのぼくだけの奇妙な物語は
ぼくだけが捏ねくりまわせて
ぼくだけが捏ねくりまわされる
そしてその物語だけがぼくで
群れのことはどこまでいっても
永遠にぼくではないし
ぼくのものにはなったためしがない
なる可能性はない

《だから
《きみはきみだけを生きよ
《他人からは見えないきみの部分をこそ生きよ
《それだけがきみだから

こんな方針をいつも
ぼくは
ぼくの額の骨の裏側に
だれにも見えない鉛筆で走り書きしてあるんだ



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