人が群れ集っているところでは
大きな方向性を決めたり
力のぶんどり合いをあからさまにするために
ときどき
夕暮れの鳥たちの群れのようにかしましくなったり
たがいにからみ合ってのたくり合う蟹たちの山のように
やわらかいのだか
かたいのだか
夜も昼もうごめき続けていたりする
雌雄がどう決するか
見続けたり
どちらかに手を添えたりするのが
とても大事だと言い張る一過性道学者もたくさん発生し
群れの中の一体にすぎないと自覚することが
人としてあるべき最重要時と吹き込まれ続けたりするのだが
喉の奥にむりやり手を突っ込まれたような感じに
オェッとなり続けながら
ぼくはそのたびいつも確認する
だれからも見えないぼくだけの意識のなかで
だれにも大事でないぼくだけの奇妙な物語の展開していくさまのほ うが
群れのどの山に力が掻き集められるかよりも
はるかにぼくだけには切実
大事
こればかりは
ぼくだけに懸かっていて
展開のさまをぼくだけが詳らかに追うしかない
どんどん変わっていく物語をぼくだけが生きていくしかない
群れのことは群れのことしか大事に思えない人たちが捏ねくりまわ すが
ぼくの意識のなかのぼくだけの奇妙な物語は
ぼくだけが捏ねくりまわせて
ぼくだけが捏ねくりまわされる
そしてその物語だけがぼくで
群れのことはどこまでいっても
永遠にぼくではないし
ぼくのものにはなったためしがない
なる可能性はない
《だから
《きみはきみだけを生きよ
《他人からは見えないきみの部分をこそ生きよ
《それだけがきみだから
こんな方針をいつも
ぼくは
ぼくの額の骨の裏側に
だれにも見えない鉛筆で走り書きしてあるんだ
0 件のコメント:
コメントを投稿