2017年10月24日火曜日

『シルヴィ、から』 50

 複声レチタティーヴォの連続のみから成るカンタータ叙事詩
 [1982年作]   

  (第二十三声) 4

  (承前)

 忘れかけていた運命がふたたび現われたのは、その時だった。娘の楽しげな眼差しを、思案のうちにふと逃れたわたしの目は、次のゲームの場所の傍らにシルヴィを見つけた。
彼女はひとりで立っていた。
ジーンズの裾を、いかにも穿き慣れないという様子で膝までまくり上げ、長い白靴下が足を包んでいるさまを露わにさせていた。片足に重心をかけて、もう片足を、爪先だけ地面につけていた。
わたしの心を、つい今しがた領していた感情が、泡のように消えていった。
彼女は全くのひとりだった。
ゲームを見ておらず、西の空の遠いところを向いて、目を細めていた。
ゲームの喧噪の傍らで、そのようにひとりだけ違うところに心を移している様は、一日のこの暮れがたにあって、微かなものではありながらも、どうにも耐えられないような、震えに似た寂しさをわたしに覚えさせた。
シルヴィが、人と化した寂しさそのもののようにして、暮れがたの一時を過ごしている。この事実の前で泰然としていることなど、わたしにはできなかった。
彼女の顔にも、寂しさや寄るべなさのようなものが見てとれた。駆けていって抱きしめてやりたいほどに、シルヴィの心のなにかが冷え切っているようだった。
こんなことがあっていいのだろうか、シルヴィがたったひとりでいる、ひとりで寂しく立っている、とわたしは思った。なのに、ぼくは今、一体なにをしているのだ?シルヴィのために、なにもしてやれていないじゃないか?……

 シルヴィはわたしに気づかなかった。
いや、自分がどこにいるのかさえ、気づいていないかに見えた。
もし、わたしに気がつけば、わたしはいくらかでも彼女のなにかを変えることができるかもしれないのに、と思うと、ひどく苛立たしかった。
心の中で、「シルヴィ……」とわたしは呟いた。
いや、叫んだのだ。
このぬるぬるとした心という洞窟の中で。その叫びは幾多の緑を越え、町を飛び、遙かなところ、遠い地の果ての岩だらけの海岸へと到って、海に散った。
わたしは、その海岸のひとつの岩に腰を下ろしていた。
平らな岩盤が海へ伸び、突然、切り絶えていた。
小さな崖のようになったそこのところに、波が当たっては散っていた。
その先端にシルヴィは立って海を望んでいた。
海風にシルヴィの髪は音楽のように揺らめき、衣服のかわりに体に巻かれた白い柔らかい布が、風の表情を絶え間なく写し取っていた。
鼻の稜線が長く伸びて、海中の近いところへ没し、髪の一本一本の自由な揺らめきの中からは新しい一本の髪が生まれ出て、世界を周るかのようだった。
 海は豊饒な胸のように呼吸をくり返し、粘液を帯びた艶めかしい生物のように動いてやまぬ金色が、その表を覆っていた。
金の海に、深い色の青空がくっきりと限界を与え、わたしたちの足元には赤茶色の岩場が広がっていた。
その上にシルヴィが、海へと心を開いて立っており、その金髪は海の金色よりも白く輝き、肌は純白の衣に覆われているのだった。
髪の流れ、衣の踊り、岩にわたしたちの影を焼きつける太陽の音、そして、ゆっくり突き上げるように生命の力を盛り上げてくる黄金の海の揺蕩が、まぶしいほどに晴れやかで厳かな合唱を、あまねく風景の中に響き渡らせているのだった。
永遠の真昼がここにはあった。
わたしたちは彫像のように動きを止めていた。
日も沈むことなく、いつまでも中空に留まっていた。
空気は焼けつくようだったが、炉の中の炎のようにわたしたちはそれに馴染んでいた。
喜びも悲しみもなく、おそらく、心というものさえわたしたちにはなかったが、そこには絶対的な永遠があった。
わたしはいつまでもシルヴィを見つめ続け、シルヴィはいつまでも岩の突端に立ち尽している。
そして、世界はこの瞬間のまま、ずっと止まり続ける。……

 「これが最後のゲームだわ」
という娘の言葉に、わたしは幻から引き戻された。
これから最後のゲームに向かうわたしこそ、幻の中にいるのではないか、と思われた。
シルヴィはさっきと同じ場所にいて、やはり、西のほうを望んで目を細めていた。
あいかわらず、わたしには気づかず、近くにいながらも、わたしとはひどく離れたところにいるようだった。
 「さあ、説明が始まるわよ」と言って、娘はわたしの腕を掴んで引き寄せた。「大変なゲームばかりだったけれど、とにかく、これで終わりなんだから、やれやれだわ」と続けた。
 「終わることを望んでいるの?」
 と聞くと、娘は一瞬ひるんだような顔をしたが、すぐに口元に微笑みを浮かべた。それとともに、顔全体に赤みがさした。そして、軽く首を振った。わたしは彼女に引かれるままに、この最後のゲームのやり方を聞くため、他の参加者たちとともに審判のところへ寄った。

(第二十三声 続く)



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