2017年10月16日月曜日

たゞ顔を逸らすということを



食べるものなど
どんどんシンプルになっていくばかり

今夜は
なにもかけず
味もつけないのに
サラダが濃厚な味を浸み出させてきていて
ちょっとうっとりするほどだった

千切りまではいかない
キャベツの細切りと
レタスと
きゅうりと
トマト
それにアボカドもくわえて
塩や胡椒さえかけずに
そのまま齧り続けたのだが
野菜からは甘い肉汁のようなものが出るので
その味覚だけで十分に旨く
いつもなら時々かける
擦りゴマもかけず
ときどき摘む味噌もなしで
一皿分をゆっくり食べ尽してしまった

豆腐もいっしょに摘みながら食べたのが
こんなふうに旨かった理由だろうか
もちろん豆腐にもなにもかけない
よく醤油をかけたり
葱だの生姜だのを添えて
せっかくの味を壊して食べる人がいるが
なんと野蛮なことだろうかと思う

豆腐など何にでも
醤油をだぼだぼかけて食べるような家に生まれたので
かつてはそんな食べ方が自然だと思っていたが
そういう人たちからも離れてもう長い
同じように食べることは二度とできないし
そういう人たちが好む料理屋をくぐることもない
長いあいだ
そういう人たちの考えや感性にも耳を貸してきたが
いつからか
もうすっかり耳も目も向けなくなってしまった

革命はなにか激しい暴力的な社会現象だという認識があるが
食べ方の根源的な違いの確立のようなもののほうが
いっそう峻烈な革命であるように思う
相手になにひとつ攻撃も批判もしないが
相手のなにひとつにももう見向きもしなくなる
たゞ顔を逸らすということを
ロラン・バルトは紳士的な究極の批評のように言ったけれど
同じようなことかもしれない



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