食べるものなど
どんどんシンプルになっていくばかり
今夜は
なにもかけず
味もつけないのに
サラダが濃厚な味を浸み出させてきていて
ちょっとうっとりするほどだった
千切りまではいかない
キャベツの細切りと
レタスと
きゅうりと
トマト
それにアボカドもくわえて
塩や胡椒さえかけずに
そのまま齧り続けたのだが
野菜からは甘い肉汁のようなものが出るので
その味覚だけで十分に旨く
いつもなら時々かける
擦りゴマもかけず
ときどき摘む味噌もなしで
一皿分をゆっくり食べ尽してしまった
豆腐もいっしょに摘みながら食べたのが
こんなふうに旨かった理由だろうか
もちろん豆腐にもなにもかけない
よく醤油をかけたり
葱だの生姜だのを添えて
せっかくの味を壊して食べる人がいるが
なんと野蛮なことだろうかと思う
豆腐など何にでも
醤油をだぼだぼかけて食べるような家に生まれたので
かつてはそんな食べ方が自然だと思っていたが
そういう人たちからも離れてもう長い
同じように食べることは二度とできないし
そういう人たちが好む料理屋をくぐることもない
長いあいだ
そういう人たちの考えや感性にも耳を貸してきたが
いつからか
もうすっかり耳も目も向けなくなってしまった
革命はなにか激しい暴力的な社会現象だという認識があるが
食べ方の根源的な違いの確立のようなもののほうが
いっそう峻烈な革命であるように思う
相手になにひとつ攻撃も批判もしないが
相手のなにひとつにももう見向きもしなくなる
たゞ顔を逸らすということを
ロラン・バルトは紳士的な究極の批評のように言ったけれど
同じようなことかもしれない
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