2017年11月26日日曜日

『リュリュ』(譚詩1994年作)1


1 冬の夜

 ながくフランスに住んだわけでもない普通の日本人が、ふと、ジョルジュ・ブラッサンスの歌の魅力に開眼させられてしまう。こんなことが起こってしまうためには、もともと、それなりの感性、好奇心、情熱がその人物に備わっていなければならないだろうが、ある種の幸運にも恵まれている必要もあるだろう。
 感傷癖と多少の文学趣味、さらに異国への憧れを持ちあわせた心は、たしかに、比較的容易にシャンソンへと向かうとはいえる。あれこれと聴いて、フランス歌謡の遍歴を重ねるうち、遅かれ早かれブラッサンスにたどり着く、というのもうなずける。すでに多くのシャンソンを聴いてきた耳に、彼の曲が藁のように味気なく聞こえる、ということはないはずだ。
 だが、なにかの拍子に口をついて出てしまうというところまで、行くかどうか。心と喉と舌よりなるわれわれの小楽団は、むしろ、楽しい時にはミスタンゲットを、のどかに心やすらぐ時にはシャルル・トレネの『ドゥース・フランス』などを、焦燥感にさいなまれる時にはピアフの『パダン、パダン…』を、さわやかな気分の時にはジョゼフィン・ベーカーの『ふたつの愛』のメロディなどを奏でようとするのではないか。
 陰々滅々といった気分の時のためにダミアの『暗い日曜日』はあるのだし、古い映画の悲恋の気分に浸りたいならば、マリ・デュバの歌う『モン・レジヨネール』がある。孤独でありながらも、自分ひとりのために絹の部屋着の肌触りは捨てられないといったナルシシズムを持ちあわせているなら、もちろん、バルバラがいる。荒涼たる吹きっさらしの風景の中へ裸の自己を求めに出たいというなら、ジャック・ブレルだ。
 困ったことには、こうしたシャンソンの数々をすぐに脳裏に蘇らせることのできるほどの人なら、かならずアメリカン・ポピュラーの数々にも通じているはずだから、いよいよブラッサンスの出番は減ることになる。チェット・ベイカーのあの壊れそうなけだるさを自分のものにしたいと思わない喉は稀だろうし、ナット・キング・コールの音の切れのよさに惹かれない舌もないだろう。男ならば、年齢を重ねるとともに、ルイ・アームストロングの貫禄と底知れないやさしさを声に乗せたいとも憧れるだろう。サラ・ヴォーンやカーメン・マクレイがいまひとつ好きになれないという場合でも、ヘレン・メリルがいる。ロリー・ジョンソンがいる。ジョー・スタッフォードのあの懐かしさと情感がある。ダイナ・ワシントンというダイナマイトがある。
 私がブラッサンスを知ったのは二十代のはじめ頃だが、ながい間、こちらの核に彼の歌が突き刺さってこないという感触を抱いてきた。ふと、メロディや歌詞を思い出しては、心の澱みや過剰、痛みにそれとなく処方してみる。そういう歌ではなかったのだ。同じ頃にブレルやバルバラが、あれほど効果てきめんの苦い薬でありえたことを思えば、私の感受性がとりわけ鈍かったということにもならないだろう。たぶん、若さのゆえなのだ。若さは悲愴さを必要以上に求め、それを少しでも大がかりなものにしようとする。悲しみも孤独も、果てまで行かなければその名に値しない、と若さは考えるのだ。
 ブラッサンスの詩法の根幹は、果てまで行かないことにある、と思える。ささやかなものであろうとも、悲しみはやはり悲しみだし、孤独は孤独だと、彼の背はいつも語っているように見える。果てまで行くことばかりに価値を見出すなら、小さな悲しみや孤独は顧みられなくなるだろうし、それらを抱いて日々のバスに乗り、電車に乗りして、勤めに出る人々の心は、無価値なものでしかなくなるだろう。だれもが、大きな悲しみや絶対の孤独を持ちうるほど力に満ちているわけではない。果てまで行こうとするのは、もう、やめようじゃないか。そんな考えにいつまでも酔っているのは、やめようじゃないか……
 これは、あきらかに、若さが人生に向けて採る態度ではない。すでに自らの体から若葉は芽生えてこない、永遠にその期は去った、そんなふうに心に滲みて感じとった人が、今の自分を装っている葉の一枚一枚につぶさに目を向けるようになった時の態度というべきだろう。自分の若さを疑わないでいられるうちは、まだまだ縁の薄い、こういう態度こそが、ブラッサンスの魅力の核心なので、だからこそ、二十代の私には、ブラッサンスはわからなかったのだ。
 そんなブラッサンスがわかる日が、わかりすぎる日が、しかし、かならず来る。来てしまう。ペルゴレージやロートレアモンのような早世の僥倖に見舞われないかぎりは、だれにでも。私にそれが来たのは冬の夜だった。四十六になっていた。

  (続く)


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