2017年11月28日火曜日

『リュリュ』(譚詩1994年作)3


    2 ブラッサンスの国の首都で (続き)

 このあたりからは、事の成り行きを、少し注意深く思い出すようにしなければならない。この数分後、私はブラッサンスの魅力を発見することになるわけだが、どういう加減で心にそういうことが生じることになったのか、いまの私としては関心のあるところなのである。もっとも、出来事の連鎖をたどり直してみたところで、歌を自作自演するシャンソン歌手の魅力に心が突然開眼する様など、知りうるものではなかろうという気はする。だが、わからなくてもよいのだ。なにかが私の中で、その数分間に変化したか、急速にかたちをとるということが起こり、しかも、そのなにかが、どうやら後の私の人生の、危機的な微妙なさまざまのポイントを支える重要な気づきをもたらしてくれたのは確かだという気がするので、それが起こった数分間をよくよく見直してみたいと思うのである。なにもわからずとも、とにかく反省して思い返してみたいのだ。私のように味気ない、弛緩した単なる時間の継続を人生としてきた者にも、片手で数えうるほどには、そうした鈍い輝きを放つ数分間が存在する。私の宝、私の人生と言えるものは、たぶん、それらだ。たぶん、そう言っていい。それらだけは失いたくない。いつか、私の時間のすっかり消滅してしまう瞬間を飛び越すという時にも、それらだけは持っていきたい。
 私が音楽好きなのを知っている主人は、まだ寝るには間があるのだから、なにかかけたらどうだ、と言う。昼に半分ほど聴いた『セビリアの理髪師』のフランス語版を続けて聴こうと思ってレコードを出しかけると、
 「そうだ。きみはかなりフランス語を聞き取れるけれど、ブラッサンスの歌にはきっと難しいのがあるぞ。俗語が多いからな。だいたい、フランス人じゃなきゃ、面白さがわからない歌だとも思うんだが。知ってるかい、ブラッサンス?」
 そういって、コンパクト・ディスクのブラッサンス全集を棚から引き出してくる。
 「知ってるよ。いくつかディスクも持ってる」
彼の妻がテーブルを片付けはじめながら、
 「フランス人にしかわからないなんて、もし、そうだったら、ブラッサンスなんて、たいしたことないってことになるんじゃない?」
 「そういうことじゃないんだよ。理解するのに、言葉にそうとう慣れてないとダメだっていうことさ。その国の言葉の明快な部分にも、きれいな部分にも、汚い部分にも通じていなきゃわからないニュアンスっていうのがあるじゃないか。ブラッサンスはそれなんだよ。下品な言葉が下品でなくなるような使い方をするわけさ。外国人がそこまでわかるっていうのは、大変なことだぜ。わかったら、それはもう外国人じゃないな。フランス人さ」
 そんなことを言いながら、ディスクをプレーヤーにのせる。彼がはじめにかける曲は想像がつく。『ポルノグラフィー思考』に決まっている。きっとだ。曲が始まる前に当ててやってもいいのだが……

     オトゥルフヮ カン ジェテマルモ
     ジャヴェラフォビ デグロモ
     エスィジュパンセメルドトゥバ
     ジュヌルディゼパ
         メ  ……………

 やっぱり。
 「そう思ったよ。これをかけると思った」
 たしかに、外国人は使わないほうが無難な言葉が、この歌には出てくる。だが、わからないなどということはない。なるほど、この歌のような言葉を使いながら、下品さを感じさせないで話すのは外国人には難しいだろうし、だいたい、フランス人にとってさえ簡単なことではないだろう。クソとか、ケツとか、かっかと燃えるケツとか、マンコとかいった言葉を使いながら下品にならないことは、どの国の言葉で語るのであれ、難しいのだ。下品になってなにが悪い、と言われれば、それも一理あるとは思うが、言葉の上でのそうした下品さが、語り手の人間としての魅力を滲ませるように使おうとするのなら、それは難しい。だが、理解ならできる。感動もする。多少の引っかかりがあっても、フランス人の聞き手と同様のわかり方が外国人にもできる。そう思うけどね、と彼に言った。

 (第2章 続く)



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