2017年11月1日水曜日

蓮台野

 
   この世は無常とは決して仏説という様なものではあるまい。
   それは幾時如何なる時代でも、人間の置かれる一種の動物的状態である。
   現代人には、鎌倉時代の何処かの生女房ほどにも、
   無常ということが分かっていない。常なるものを見失ったからである。
          小林秀雄『無常といふ事』


ダンノハナという地名の場所が
遠野には幾つもあったという
漢字で書けば「壇の塙」に違いないと
柳田國男は『遠野物語』に注釈している
境の髪を祭るための塚だそうだが
昔は囚人を斬った場所でもあるという

ダンノハナの近くには
必ず蓮台野という地があって
六十歳を越えた老人は昔
皆そこへ追い遣られたという
棄老の場所であったということか
六十で棄てられるというのは
ずいぶん若いようにも思われるが
昔はそんなものかもしれない

そうはいっても老人たちは
すぐ死んでしまうものでもないので
日中は里へ下りて農作業をした
村や集落から見れば
蓮台野は死者の場所だから
そこから野良へ出るのをハカダチと云い
野良から帰るのをハカアガリと云った

ハカとも呼ばれる場所に
老人たちを集めて人生を暮らさせるのを
ずいぶん知恵のある社会感覚と思う
野良に農作業に出られなくなったら
蓮台野で衰弱して失せていくのだろうが
そんな終わり方というのはいいではないか
六十になったばかりの新たな老人は
蓮台野に行ってきっと方々に
頭遺骨の転がってるのを見るだろうが
酷薄なこととは言われないだろう
死に親しむ心とならねば
むしろ老い行くばかりの身は
救いようがないのだから



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