2017年12月11日月曜日

『リュリュ』(譚詩1994年作)12

 
       7 二度目の出現

  リュリュはその後何年も経ってから、ーーより正確に言えば、三十数年経ってから、もう一度私の前に姿を現した。
 二十世紀末から始まっていた世界の激変に比べれば、私が生まれ育った旧日本国に起こった変化は遅ればせのものであったといえようが、周知の通り、それは、ひとたび始まるや、想像を絶した激しさで、あの国の秩序、風俗習慣、感性、思想を覆してしまった。一国の根底に及ぼされる深い変質、時間的に長期にわたる変化の継続、物心両面への破壊の厖大さ、殺戮の途方もなさから見て、日本革命はすでに、ゆうにフランス革命に匹敵するとの見解が出されているが、私もその通りであると思う。
この文章を書いている今現在、旧日本での混乱には収拾の見込みがまったく立っていない。外国からの救援部隊は、日本列島に踏み込んでしばらくすると、ほとんどが消息を絶っており、係争中の一派に対する外国からの援軍さえも、上陸すると程なく行方がわからなくなってしまうという。上陸したジャーナリストで帰ってきた者はおらず、ただ、恐るべき戦乱のブラックホール状態が、まったく衰えを見せることなくあの列島に渦巻き続けているらしい数千年続いてきた怨念の厖大な堆積についに火が着いたのだと説明する心霊家たちもいるらしいが、なるほど、それもある種の真実を衝いているのではないかと私も思う。いつわりのその場逃れの政治態度と生活態度で、かろうじて身過ぎ世過ぎを続けてきただけの人間たちの集まり、それが私の生まれ育った国であったのは確かだから。
 私が国外脱出を図ったのは、混乱が本格的になった数か月後だった。それも偶然の、また幸運な成り行きからで、あのことがなければ、まだ私は日本列島内に留まっていただろう。むろん、生き伸びている可能性はかなり低かったに違いない。
 ある夜、私の家に武装した三名のゲリラ兵が入り込み、私を外へ連行した。付近の住人たちも同様に駆り出されたらしく、道路にはたくさんの人が連行されてきた。バスが何台か到着し、私たちはそれに乗せられた。すでに、こうしたかたちでの強制労働場への連行があちこちでなされているらしいとの情報を人づてに得ていたので、(その頃はもう、報道関係の会社もサービスも、さまざまな武装セクトによってくり返される攻撃で破壊し尽くされ、新聞もなく、テレビやラジオによるニュースもなかった)、たぶん、それだろうと思ったが、私たちを連行するゲリラ兵たちが、もしも、日本純化派と呼ばれるセクトの兵たちであるならば、このままどこかで集団処刑される可能性もあった。日本純化派はなんら建設的な方針を持たない軍団で、破壊と殺戮だけをひたすら続ける若者の集まりであった。日本の古代の神々と自然の精霊に勅命を与えられたという数人の首領たちによって指揮されており、目的とするところは、天皇制成立以来の日本と日本的なるものの根こそぎの破壊であるといわれていた。すべてを破壊し尽くした後には、すべての団員たちも自死を遂げることになっており、それをもって、彼らの日本浄化の使命は終わるというものらしかった。
 人間のいっぱいに詰め込まれたバスの中では、光量の低い青白い蛍光灯の光を受けて、まさに死相という他ない凄まじい寂しさを呈した顔が見えるばかりだった。それらを見ながら、確証はないものの、私は、兵たちがきっと日本純化派の連中で、我々はどこかでまとめて殺されるのだろうと思わずにはおれなかった。
 左のほうに、よく近所で見かけた背の高い老人がいて、その顔もやはり、すでに幽界に来た人のそれのように青ざめて見えた。ああ、この人も乗せられたのかと思っていると、その老人のむこうに見える人々の間に、他の顔よりも明るい、妙にはっきりした顔が見えた。
 リュリュだった。口元に微笑を湛えていて、見れば見るほど、その顔の輝きが増して感じられてくる。
 若い頃にホームで見た時と違って、リュリュはすぐに消えることなく、しばらくそこにいた。私は近づこうともせず、ずっと彼女の顔を眺め続けた。奇妙なことだが、ずっと眺めていると、リュリュの顔が、たえず流動する海面のように感じられた。
 唇が、なにか言葉を発しようとするように軽く開かれ、白い歯がほの見えた。その瞬間、彼女は消えた。かぐわしい香りが、その後にふっと匂った気がしたが、これはたぶん、私の気のせいなのだろう。
 顕現。それ自体が理解であり、解決であり、やすらぎであり、救いである顕現というものがある。リュリュのこの出現は、たぶん、それだった。説明はできそうになかったが、私は、それまでの私だったものが終わると感じた。いや、もう、終わったのだろう。リュリュの現われとともに、「わたし」は終わったのだろう。これまで「わたし」が抱えてきた様々な問題、希望、失望、おそれ、疲れ…、終ったんだな、みんな。そう思った。昔読んだことのあるポール・ヴァレリーの『若きパルク』の一節がふいに心に蘇った。「私は思った、さようなら、自我、死すべき妹、虚しい像よと…」。
 これが死だろうか。
 表現するのは難しいのだが、私は自分が、非常な覚醒の中にあるのを感じた。その覚醒は、同時にやすらぎだった。それを、どう表現したらいいだろう。昔、パリにミレーユといた時、…そう、あの一夜、食事の後でふとまどろんだ時に見た夢。あんな感じかもしれない。空の広く仰げるところ。青みどりの穏やかな海。森。暖かい場所で、長い旅を終えて、やっと戻ってきたというあの気持ち…
 殺されるんだな。
 そう思った。リュリュの出現も、こんなやすらかな気持ちも、バスの中の陰惨なこの青白い光景も、これから近いうちに起こる虐殺をはっきりと予言しているとしか思えなかった。かつて日本と呼ばれたこの土地に混乱が起こって以来、各地で無数にくり返されてきた、もはや目新しくもない単なる虐殺。それが、またひとつ起こるだけなのだ。他の虐殺と違うのは、殺される者の中に、こう考えたり、感じたりしている自分が含まれるということだった。この脳は、まもなく機能を停止させられるだろう。「わたし」という、この思考は消えるだろう。「わたし」へと集まってきていた暑さも寒さも、色も、輝きも、闇も、疲れも、快楽も、ふたたび散り散りになり、宇宙の無限さへと彷徨を始めるだろう。このように想像すると、「わたし」の死は、なにかすばらしいことのようにも思えた。よく聞いた好きなパーセルの『メアリー女王葬送の音楽』が心に鳴った。記憶というものの力、記憶というものの愛に、私は感動した。私の記憶は、私に今、こんなにも美しい葬送の音楽を呼び戻し、奏でてくれるのだ。

 (第7章 続く)


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