2017年12月12日火曜日

『リュリュ』(譚詩1994年作)13

 
       7 二度目の出現 (続き)

 死について、生について、考えたいと思った。しかし、どう考えていいかわからなかった。私はよく生きただろうか。私の生は、これでよかっただろうか。考えようとしてみると、ふさわしい基準が全くないことに気づいた。処刑を数十分後、数時間後に控えて、自分について、自分の人生について、死について、価値について、考えるべきこと、味わうべきこと、判断を下すべきことについて、人は、いかなる書物もなしに、いかなる対話者もなしに、書き付けるペンも紙もなしに、充実して、よく考えることができるだろうか。考えることは、その時、いかなる価値を持つだろうか。その時、私とは誰だろうか。その時、これまでの私とは誰だったことになるだろうか。
 どれくらい時間が経っただろう。バスがようやく止まった。海に来たらしいのが、開いた窓から入ってくる匂いと音とでわかった。窓から覗くと、遠くでときどき鈍い水のきらめきが見える。沖で、波が星か月の光を受けて光っているのだ。バスが着いたあたりは崖の上かなにかに思えたが、暗くてはっきりしなかった。
 そのまま、降ろされることもなく、また時間が過ぎた。バスのまわりでは、しばらく兵たちが動き回っていた気配があったが、やがて、ガクンと音がして、バスがひと揺れした。その後、もう一度強く揺れた。そして、海とは反対の側がだんだんと持ち上がっていくのがわかった。兵たちがバスを、海へむかって手で押し落そうとしているのだった。バスの中で、動揺が広がった。悲鳴が起こった。最後の瞬間になると、それまですべてを諦めて、成り行きまかせにしていた人々も、バタバタと慌ただしい動きを示すものだ。叫び、体を揺すり、顔を歪め、足を踏みならし、…転倒する前の独楽のようなぐあいに。
 ゆっくりとだが、バスは確実に持ち上がっていった。私たちの閉じ込められた小さな空間は、横になったかと思うまもなく、逆さまになり、回転し、また横になり、もとに戻ったかと感じられた時、大きな音とともに衝撃が体を突き抜けた。
 リュリュの出現を私の死の前兆と考えたのは、誤りだった。肉体的な死の危機の二度に及ぶ乗り越えを、むしろ、彼女の出現は示していたのだ。バスはたしかに崖から海へと突き落とされたのだが、さいわい、その崖の下は多くの頑丈な岩が切り立っているところで、バスはかなり落下したにもかかわらず、ある岩に引っかかり、そこで止まった。むろん衝撃は非常に大きなもので、中にいた半数以上の人々は死傷した。私も気を失い、小さな怪我をしたが、奇跡的に死ななかった。
 生き残った人々の間で助けあい、闇の中で声を出しあったり励ましあって、バスから脱出し、崖の上には出ずに、そのまま岩場づたいに移動して逃げた。かなり行ったところで、崖の上に出、人影の絶えたある村落に入って休むことにした。この村のあちこちに人骨やひからびた死体があったが、かなり前に殺戮は行われたらしく、腐っているものは一体もなかった。
 この時に逃げ延びた人々とともに、かなり経ってから、私はロシア方面に船で脱出することができた。大陸を、これもまた奇跡的と言っていい旅をしながら横断して、モスクワまで着いた。さいわい、フランス人の友人と連絡がとれた。シャルル=ド・ゴール空港に着いた時、私の目には涙が滲んだ。これまでの苦しい逃避行から解放された安堵感からというより、昔、ミレーユとともに何度もこうして、日本からこの空港に飛行機で来たことを思い出したからだった。
 結婚してからは、ミレーユは日本で私と暮していた。私が勤めから帰ると、彼女は毎晩、うれしそうな、どことなく悪戯っぽい目で私を出迎えたものだ。
 あの夜は違った。家に戻った私は、ドアを開けてすぐに、玄関に転がっている彼女の首を見つけた。髪の毛が血の中でばさばさに強ばり、下手な細工もののようで、美しかった彼女の顔は、恐ろしいというより、ただただ異様なものに変わり果ててしまっていた。居間に体があった。裂かれた腹から腸が引き出されていた。腕や腿が無傷なままで、血もついていないところがあるのが不思議に思えた。
 静かだった。
 家の中のあの静けさを、私は忘れないだろう。この人生が終わり、生まれ変わって、全く別の人格や運命を生きる時にも、あの静けさを忘れることはないだろう。もし次の人生で、ものを書く時間や多少の才能に恵まれるようなことがあれば、私はきっとこの静けさを、まるで、ただの突飛な、気まぐれな、残酷な空想のように、純然たる創作のように、書こうと努めるだろう。そして、それを人に見せる時には、ただの小説だよとでも言うだろう。
 あの静けさは忘れないだろう。あんなにも理解しあい、愛した人間の体から腸が引き出され、毎日あんなにもいとおしんで口づけをした顔が体から離れて、血の中に転がっている家の静けさ。
 あの静けさの中で、誰が、どんな言葉を口にできるだろう。あの中で、誰が、なおも人間であり続けることにイエスと言うだろう。あの静けさを知った者にとって、再び訪れる平和や、かつての楽しい日々とはなんだろう。家族の団欒とは何だろう。恋する心のときめき、嫉妬、体を交える喜び、そして、それらの無数の記憶は、あの静けさの中で、なにであり得るだろう。
 フランスに私を迎えてくれたのは、ミレーユの弟のジャンだった。彼は南フランスに住んでいて、人類学者だった。日本文化にも通じていて、昔はよく日本にも来て、家に泊まったものだ。
 私はしばらく、地中海に臨んだ丘にある彼の家に住むことになった。数年後、近くに手頃な小さな家を建ててもらい、そこに移り、彼の友人の紹介で週に何度か、そう遠くないところにある大学に日本語を教えに行くことにもなった。私の生活費はすべて負担するから、楽にしていてよいとジャンは言ってくれるのだが、私としてはできるだけ働きたいと考えた。すでに六十三に達した私の年齢を考えれば、ジャンの言うように、楽にして日々を送っていくのもいいかもしれない。だが、二度と日本列島に戻ることはあるまいし、戻る気もないので、この土地で普通に人並みに働いていきたいと私は思った。それに、誰でもこの歳になればわかるが、歳を重ねるにつれて、逆に、一日一日をしっかりと、無理せずに働いていきたいと思うようにもなるものなのだ。

 (第7章 終わり)

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