2017年12月14日木曜日

『リュリュ』(譚詩1994年作)14


    8 再生

 私の今の生活は単純なものである。
 起きるとたいてい、テラスに出て、朝の海を眺める。海岸まで下りて行って、浜を少し歩くこともある。その後、朝食をとり、午前中に大学の授業の準備や勉強を済ませる。読書をする時もある。それから、昼食。授業がある時は一時半頃外出し、五時頃まで過ごす。大学の近くで夕食。学生たちや教授たちとともに食べることもある。八時頃には帰宅し、夜の浜を少し歩く。その後、読書。十二時前に就寝。
 授業のない時は、午後を読書や勉強に費やすが、家の前にひろがる入り江で泳ぐことも多い。大きな入り江で、いつも波が穏やかなのがよい。若い時のような泳ぎ方はできないが、海に浸かっているのも、浮いているのもよい気持ちである。しばらく入っていた後、浜に寝て、体を休める。うとうとするが、本当に眠ってしまうのは稀で、たいていは、覚醒とも眠りともつかないあたりを揺れ動く。
 今日は授業がない日なので、やはり、そんなふうにさっきから横たわっている。
 目を瞑っていても、閉じた瞼の裏の、オレンジ色の眩しさはかなりのものだ。陽に焼け過ぎないように、タオルをかけていたり、パラソルの下に寝たりするのだが、それでも、日中の浜の眩しさは瞼越しにはっきりと感じられる。
 今日はタオルを背にかけて、顔だけ出している。
 光の中に、温まった体でこうして横たわっていると、昔、パリの義兄の家で、食べ過ぎて少し眠った時に見た夢をよく思い出す。あの穏やかな海、空のひろく見渡せる、暖かい場所…

  此処だったんだな、と思う。
 きっと、此処のことを、前もって夢で見てしまったのだ。この雰囲気、この波の音、この暖かさ、そして、長い旅を終えてきたという気持ちも。
 だが、ひとつだけはっきりと違うことがある。あの夢の中では、誰かが傍らにいて、そうして、その誰かに、やっと戻ってきたと話していたようだったのだが、今の私の傍らには誰もいない。ひとりだ。ジャンの妻のアンヌ=マリや彼の娘たちがよく来てくれるけれども、それよりもっと親しい誰か、…そう、ミレーユやリュリュのような誰かが、あの夢の中では、こうして海辺にいる私の傍らにいたようだった。

 私はひとりだ。
 …しかし、本当にひとりだろうか。
 遠くにいるあの釣り人には、浜に横たわっている私の傍らに、ひょっとしたら、ふたりの女がありありと見えているのではないだろうか。もしかしたら、アンヌ=マリも今、私のことを双眼鏡で見ていて、見慣れないふたりの女が此処にいるのを不審に思っているのではないか。それとも、あの女の人たち、また来ているわ、とでも思っているだろうか。
 リュリュとミレーユに伴われて、それでいて、たったひとりでいる今、歌を口ずさむなら、やはり、『フェルナンド』がふさわしいだろう。

     おれはひとりもんなんで
     さびしいときにはこの唄の
     調べでいつも
     楽しむわけさ
     フェルナンドのこと思うと
     ビンビン勃起
     フェリシーも同じで
     ビンビンビン
     レオノール思えば 
     これまた勃起
     ところがリュリュはちがうんだな
     リュリュには立たぬ
     あれこれと
     やってもどうにも立ちゃしない

  バンデゾン(勃起)というブラッサンスの言葉づかいに吹き出した時の、ミレーユの笑い声が聞こえる。呆れながらも、笑い転げていたその姿が、はっきりと見える。
 リュリュも見える。時間をかけて、あんなにも体を右に傾けて陸橋を上がっていくリュリュ。そこにいる。はっきり見える。

  生き返った、ということなのだろうか。
 リュリュも、ミレーユも、私も。
 これが、再生の瞬間だろうか。


 (『リュリュ』  終わり。
     1994年8月脱稿。
     2011年12月全面書き直し終了)

 *『リュリュ』は1994年8月に脱稿され、個人誌『Nouveau Frisson22号(19949月)に発表された。
当時の私の生活を構成していた様々なものは、物質的なものであれ社会的なものであれ精神的なものであれ、もう殆ど存在していない。とりわけ、当時の人間関係が今、まったく存続していないのは、思えば驚くべきことである。あの頃の思い出を共有できる人々は、もうひとりもいない。たったひとりで生き延びている、生き残っている、という思いが強い。その意味で、『リュリュ』の短い最終章は、見直しつつ感慨深いものがあった。      
 当時この作品に親しく感想を寄せてくれた美術史家・音楽評論家の宮下誠の霊に捧げる。また、30年間精神生活を共にしたエレーヌ・セシル・グルナックの霊に捧げる。



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