2018年2月11日日曜日

なんと厖大な物理的時間空間がそして労力が

 

…かたや
なにか特定のテーマにかかずりあっただけのことで
文科の長になったとでも思いあがるのか
そこに小金稼ぎの出版社や編集者の雲集して
ブームっぽいものを作ろうと
ネット世界でかしましいことを

そんな無理なお祭り煽りを
あそこに見
そこに見
しながら今年の一月からは
ただでさえ一年中で最も忙しい仕事や野暮用の間を縫って
高麗屋襲名だの
文楽の太夫さんだのの襲名に
いちいち生活を睡眠を休息を切り詰めて
振り回され続けてきたが

そんなこんなしながらつくづく思うのは
近松のテキストも読みこなさないで文科ぶる連中の
恥ずかしさ
島木赤彦や窪田空穂の初版本歌集を味読もせずに
文芸を語りうるかのように思い込む連中のわびしさ
現代仮名遣いによる選集と原典では句歌は全く違った趣を呈する)
近代文学の父シャトーブリアンの原文80パーセント以上にもあたらずに
文学について何ごとか語り得るかのようにお山の大将してしまうことの
もうどうしようもないほどの無知蒙昧さ

つくづく
つくづく思うが
これらのどれを言語体験して経験の内的空間の中に収めていくにも
なんと厖大な物理的時間空間が
そして労力が必要とされることであるか…




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