2018年4月8日日曜日

なにもない白い清潔な部屋の中で


白い清潔な部屋に通される
白いセラミックの皿に
注射器やいくつかの器具が置かれている

自分も白い衣を着させられている
肩から脛まである
下着などはつけていない

痛みや不快感はありません
と言われる
血管に注射した後
意識が朦朧とすることもありません
最後までクリアな意識です
けれども
居眠りに陥る時のように
急にこっくりします
それですべて終わりです
美しく
静かで
おだやかな最良の死
と呼ばれるのはそのためです

説明も美しい
医師は非常な美人で
しかも男でも女でもない
この施術をする医師たちは
あらかじめ男性器も女性器も除かれ
男性女性のどちらにも傾かない精神と身振りができるように
長い時間かけて創造され直している
最期の時にかたわらにいてくれるには
もっともふさわしい人であるに違いない

急ぐわけではないので
なにもない白い清潔な部屋の中で
自分の命を止めることになる注射器を見つめている
ずっと見つめ続けている
注射器というものを
これほどしっかり見つめたことはない

急がないでいいのです
何年も待ち続けた人もいるくらいです
いったんこの部屋を出て
何年もしてから戻って来て
注射を受けた人もいます
この部屋は
あなただけのための部屋で
あなたが外へ出直しても
他の人は誰もここを使いません
あなたの最期を忠実に待ち続ける部屋です

命を止める注射器と
準備万端のさまを見まわすと
数分後には自分が消えるという事実から逆算して
命や自分というものへの理解が急速度で深まっていくのを感じる
この貴重な感覚はふつうに生きている間にこそ得たかったと思う
自分は名でもなく経験でもなく思念でも主義でもないのがよくわか
目的や価値は存在せずそのゆえに時間の無駄というものはなく
ひかりのようなものというか
ただの“開け”のようなものというか
壁や境界のない四方八方の開放されているなにもない場が
自分というものだったとわかる
こういうあり方がずっと続いていくのだろうか
それともこれもなくなるのだろうか
命を止めた後も?
そういう疑問がふいに湧くが
そもそも有と無はまったく同じものだったのだ
とわかっているので
そんな瑣末な問いに意味がないのもすぐにわかる

こうした理解から
白い部屋へ
白い衣を着た自分の肉体へ意識を戻すと
これらがすでに他人事の映画のシーンのように見える

とはいえ
自分の肉体はまだ使用に耐えるのではないか
との思いが浮かぶ
この肉体を使い続けながら
この肉体の構成要素からできている世界にもう少し居てみようか
そんな悪戯っぽい考えが浮かぶ

たぶん
医師は了承するだろう
この部屋はいつまでもあなたを待っています
と彼は言うだろう

あなただけを待っています
肉体の構成要素から成る世界と肉体に
あなたが執していないのははっきりしているので
あの世界に居続けても問題はないでしょう
どこにいてもあなたが望めばこの部屋がすぐに出現します

そう
この医師も自分が創り出している存在なのだから
自分の肉体も含め
いわゆる現世のすべてを自分が創り出していたのだから

もう一度
外へ出ることに決める
立ち上がり
白いドアのところまで歩いていく

ドアノブに手を掛ける
ドアとドアノブの区別がつかないほど
両方とも
こんなにも白かったのか
とはじめて気づく




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