白い清潔な部屋に通される
白いセラミックの皿に
注射器やいくつかの器具が置かれている
自分も白い衣を着させられている
肩から脛まである
下着などはつけていない
痛みや不快感はありません
と言われる
血管に注射した後
意識が朦朧とすることもありません
最後までクリアな意識です
けれども
居眠りに陥る時のように
急にこっくりします
それですべて終わりです
美しく
静かで
おだやかな最良の死
と呼ばれるのはそのためです
説明も美しい
医師は非常な美人で
しかも男でも女でもない
この施術をする医師たちは
あらかじめ男性器も女性器も除かれ
男性女性のどちらにも傾かない精神と身振りができるように
長い時間かけて創造され直している
最期の時にかたわらにいてくれるには
もっともふさわしい人であるに違いない
急ぐわけではないので
なにもない白い清潔な部屋の中で
自分の命を止めることになる注射器を見つめている
ずっと見つめ続けている
注射器というものを
これほどしっかり見つめたことはない
急がないでいいのです
何年も待ち続けた人もいるくらいです
いったんこの部屋を出て
何年もしてから戻って来て
注射を受けた人もいます
この部屋は
あなただけのための部屋で
あなたが外へ出直しても
他の人は誰もここを使いません
あなたの最期を忠実に待ち続ける部屋です
命を止める注射器と
準備万端のさまを見まわすと
数分後には自分が消えるという事実から逆算して
命や自分というものへの理解が急速度で深まっていくのを感じる
この貴重な感覚はふつうに生きている間にこそ得たかったと思う
自分は名でもなく経験でもなく思念でも主義でもないのがよくわか る
目的や価値は存在せずそのゆえに時間の無駄というものはなく
ひかりのようなものというか
ただの“開け”のようなものというか
壁や境界のない四方八方の開放されているなにもない場が
自分というものだったとわかる
こういうあり方がずっと続いていくのだろうか
それともこれもなくなるのだろうか
命を止めた後も?
そういう疑問がふいに湧くが
そもそも有と無はまったく同じものだったのだ
とわかっているので
そんな瑣末な問いに意味がないのもすぐにわかる
こうした理解から
白い部屋へ
白い衣を着た自分の肉体へ意識を戻すと
これらがすでに他人事の映画のシーンのように見える
とはいえ
自分の肉体はまだ使用に耐えるのではないか
との思いが浮かぶ
この肉体を使い続けながら
この肉体の構成要素からできている世界にもう少し居てみようか
そんな悪戯っぽい考えが浮かぶ
たぶん
医師は了承するだろう
この部屋はいつまでもあなたを待っています
と彼は言うだろう
あなただけを待っています
肉体の構成要素から成る世界と肉体に
あなたが執していないのははっきりしているので
あの世界に居続けても問題はないでしょう
どこにいてもあなたが望めばこの部屋がすぐに出現します
そう
この医師も自分が創り出している存在なのだから
自分の肉体も含め
いわゆる現世のすべてを自分が創り出していたのだから
もう一度
外へ出ることに決める
立ち上がり
白いドアのところまで歩いていく
ドアノブに手を掛ける
ドアとドアノブの区別がつかないほど
両方とも
こんなにも白かったのか
とはじめて気づく
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