世のありようの中に安らいでいると
肉体と思念のうちの最も粗略な部分だけを
慮っておけばいいなどと
怠惰な自己認識・自己管理意識に
陥ってしまいがちになる
自分が自分で
あり得ているかのように思い込む錯誤は
たとえば
片足立ちで数分立ってみようとしたり
目を瞑ってその場に急速に世界を捕捉し直そうとしてみたり
廊下の中央でも
大きなホールの端でも
自分がよく坐る椅子の少し後ろあたりでも
しばらく視線を放棄しながら立ってみたりすれば
すぐに修正される
少なくとも
肉体と思念のうちの最も粗略な部分だけでは
自分と呼ぶに全く値しないと
体感的に理解される
誤らない道は
この理解にたびたび帰ることからしか
辿られ得ない
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