2018年7月24日火曜日

はるかに暑い夏を何度も何度も過ごしてきたと思えてならない

 
昔より暑くなっているというのは
温度を数値で見せられればわかるけれど
それでもやっぱり昔のほうが暑かったと思う
そう思われてならない
たったひとりであってもそう思い続けていくと思う

いちばん暑かった思い出は
たとえば炎天下のだれもいないアスファルトの上
その上で麦藁帽子をかぶって三輪車を漕いでいたり
捕虫網をもって夏の昼の虫を取っていたり

あるいは
やはり炎天下の雑木林の小山
夏の昼日中にはカブトムシもクワガタもいないのに
それでも色とりどりのカナブンは蜜に群れていて
ときどきカミキリの幼虫も顔を出してきたりするし
タテハやシジミやセセリの類の蝶も集まってくる
蝶は採ってもすぐ死んでしまうので採らないが
カナブンは面白いのでけっこう集めてしまう

そんな時の暑さといったら
三十九度だの四十度だのという昨今の暑さどころでなく
無限旋律のような蝉の鳴き声が異次元を作り出していて
人間の姿といったら子どもの自分ひとりしかおらず
どこかこの世の外の暑さのなかにいる風情で
今からふり返っても超時間の暑さのなかにいたと感じる
その時の実際の暑さは三十度前後程度だったのかもしれないが
数日前の東京の三十九度などとは比較にならない暑さと感じられた

真夏の海辺や海沿いの山道をさまよってみた時の暑さも
やはりただならぬ暑さだった思い出があって
とてもではないが2018年の暑さどころではなかった
まだまだとんでもなく若くて
ペットボトルなどというものもない時代で
ろくに水分補給もしないで歩きづめに歩いて
たまに見つかる自販機で缶ジュースを飲んだりする
ミネラルウォーターなどまだ売っていない時代だった
伊豆のいろいろな海岸をめぐり
太平洋のあちこちの海岸や近くの山々の道をめぐり
毎年毎年暑さにつぐ暑さに色もののシャツを汗で真っ白にして
夕暮れに温泉宿に辿りついてボーッと大きな湯船に浸かっていたりした

そんなこんなを思い出してみると
やっぱり
あの頃のほうがはるかに暑かったと思えてならない
はるかに暑い夏を何度も何度も過ごしてきたと思えてならない



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