昔より暑くなっているというのは
温度を数値で見せられればわかるけれど
それでもやっぱり昔のほうが暑かったと思う
そう思われてならない
たったひとりであってもそう思い続けていくと思う
いちばん暑かった思い出は
たとえば炎天下のだれもいないアスファルトの上
その上で麦藁帽子をかぶって三輪車を漕いでいたり
捕虫網をもって夏の昼の虫を取っていたり
あるいは
やはり炎天下の雑木林の小山
夏の昼日中にはカブトムシもクワガタもいないのに
それでも色とりどりのカナブンは蜜に群れていて
ときどきカミキリの幼虫も顔を出してきたりするし
タテハやシジミやセセリの類の蝶も集まってくる
蝶は採ってもすぐ死んでしまうので採らないが
カナブンは面白いのでけっこう集めてしまう
そんな時の暑さといったら
三十九度だの四十度だのという昨今の暑さどころでなく
無限旋律のような蝉の鳴き声が異次元を作り出していて
人間の姿といったら子どもの自分ひとりしかおらず
どこかこの世の外の暑さのなかにいる風情で
今からふり返っても超時間の暑さのなかにいたと感じる
その時の実際の暑さは三十度前後程度だったのかもしれないが
数日前の東京の三十九度などとは比較にならない暑さと感じられた
真夏の海辺や海沿いの山道をさまよってみた時の暑さも
やはりただならぬ暑さだった思い出があって
とてもではないが2018年の暑さどころではなかった
まだまだとんでもなく若くて
ペットボトルなどというものもない時代で
ろくに水分補給もしないで歩きづめに歩いて
たまに見つかる自販機で缶ジュースを飲んだりする
ミネラルウォーターなどまだ売っていない時代だった
伊豆のいろいろな海岸をめぐり
太平洋のあちこちの海岸や近くの山々の道をめぐり
毎年毎年暑さにつぐ暑さに色もののシャツを汗で真っ白にして
夕暮れに温泉宿に辿りついてボーッと大きな湯船に浸かっていたり した
そんなこんなを思い出してみると
やっぱり
あの頃のほうがはるかに暑かったと思えてならない
はるかに暑い夏を何度も何度も過ごしてきたと思えてならない
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