2018年9月14日金曜日

文字を知ったがゆえの盲も



神保町の
大きめの川
小さめの川
のような
さまざまな道や路の流れのほとり近くに
住むようになって
日課とまではいかずとも
本好きゆえ
おのずと週課か隔週課のように
古本屋通いをするようになってみると
人文書籍の膨大な量を
たんなる想像でではなく
まさに物量として
肉眼で見
手で触れる機会が
格段に
多くなる

興味の広い読書子なら知っている
どの著作家についても
どの思想家についても
どのテーマについても
あゝ、なんと
多くの
多過ぎる
研究書や版本や関係書物が
すでに
出されてしまっていることか

それら
厖大な書籍群の
一冊一冊に投入された
著者たちの時間と
生活と
命の
なんという計り知れない質と物量!
そうして
それらに全く見合わない
なんという
世間の側からの徹底した忘却!

心の深くまで眩暈に見舞われて
脚の舟して
住まいに寄せ帰りつく頃には
屋上屋を架す
ということの無謀さ
というより
塵労を
愚かしさを
ふたたび
痛切に学び直している

たゞ風に吹かれ
うつりかわる空を見続けているような
そんなことだけの
無限の豊かさに
人びとは
なぜ
留まっていられないのか

蘇東坡
だったか
人間文字を知るは憂患のはじめなり
慨嘆したのは

文字なんか
知らなきゃよかった
文盲だったら
よかった…
などと
これもまた
あまりに多くの先人たちが洩らした
嘆きを
再生機械のように口にしそうになりながら
あゝ
文字を知ったがゆえの盲も
やはり
あるのだな
ようやくに
痛切に
気づき出してくる



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