2018年9月15日土曜日

印象


 
わたしがわたしとみなすのは意識内部に生じる印象であり
その印象によってのみであり
その印象は
外部情報受容と
知覚と
認識と
記憶と
実践的知性の活動と
総合と
(情報をしばしば適切に処理し切れないことから来る)
ある種の混乱
よって生じる

わたしが
わたしにとって
重要でないことは
これらの過程と状況を認識することによって
十二分に証明される

わたしは
他の肉体を管理運用する他の「わたし」と
構造上はまったく同じなので
わたしが
わたしにとって
重要でない以上は
他の「わたし」たちも
それらの「わたし」にとって
重要ではあり得ない
もし重要ででもあるかのように信じ込んでいるなら
それは
彼ら「わたし」たちの
妄想
である
妄想にしたがって
世界認識を
行ってはならないし
ましてや
外部情報の総合からなる見取り図に対して
行動したりしてはならない

世界や環境になにが起ころうとも
たとえば
修正や
改良や
革新や
変革などの
一切の行動は
行う必要がないどころか
行ってはならない
理由が
この
わたし=印象論から必然的に導かれる



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