2019年3月11日月曜日

ゆくりなくも

 
映画の中では
大阪から上京した主要人物のひとりが
これからイプセンの『野鴨』が始まろうとしている演劇ホールで
大きな地震に見舞われる
ホール内の照明が消え舞台上の小道具が落下する
人物は大きな被害には遭わないが帰宅困難者となって
たくさんの歩行者たちのなかに混じって都内を歩き続けていく

2011年3月11日の東日本大震災の時の東京

映画は濱口竜介監督の『寝ても覚めても』(2018年)

帰宅困難者となった人物は東出昌大の演じる亮平

地震の後の夕方の人込みのなか
彼はゆくりなくも
唐田えりかの演じる朝子に逢着する

亮平とのあいだに愛情が育ちつつあった時に
ふいに姿を消していた朝子

さて

ここにいま書かれて行きつつある言語配列は
映画『寝ても覚めても』の感想文でもなければ
鑑賞文でもなく
批評文でもなく
ましてや宣伝文でもないので
この映画のことを語るのはここまでにしておく

この言語配列を記し始めた理由
この言語配列の唯一の存在意義をここから記すことにしよう

ゆくりなくも
まこと
ゆくりなくも
今日、2019年3月11日
13:30から私は飯田橋のギンレイホールで
映画の内容もろくに知らず
出演俳優たちのことも知らず
きっと当世流の若者映画のたぐいと推測してさほどの期待もせずに
映画好きとして鑑賞本数をこつこつと稼ぎ続けるために
(今年は3月11日時点で72本を見終えている…)
またギンレイシネマクラブ会員の権利を行使するために
前払いしてある年間パスポート料金10800円を無駄にしないがために
さらに
様々な用事の隙間を縫って鑑賞しようとすれば
今日の13:30からの回に見ておくしかないという個人的事情から
ギンレイホールの闇のなかに身を埋めに行ったのだったが
東出昌大がホールで東日本大震災に遭い
さらに帰宅困難者で溢れる夕方の東京を歩いていくのを見るうち
あ?
と気づいたのだった
そういえば今日は3月11日だったではないか!
映画のフィクションの外のこちら側でも3月11日で
13:30から始まった映画は14:46:18を過ぎており
つまり地震発生時刻を過ぎており
あの日の地震を時間的になぞり直していくように
奇妙な一致が飯田橋ギンレイホールの私をめぐって発生していたようだった

映画の進み行きよりも
これに
驚いたのである

この日のこの回の『寝ても覚めても』を見た人たちの間でのみ
さらには
奇妙な一致の発生に気づいた人たちの間でのみ
共有されうる特別な感覚と経験

こんなことがおそらく
津波に呑まれた園児たちのバスにも発生したのだろうし
津波で壊滅した市庁舎の職員たちの間にも発生したのだろう

この言語配列の目的はこれだけ
この程度を記してみようというだけのことである

映画が終わり
15:40過ぎに外に出ると
朝から雨や晴れや曇りをくりかえしていた空は快晴となっていて
真っ青な空に太陽のひかりが眩しかった

じつはこの時
映画を見ていた120分ほどの間に
天空と地上で大きな変化が起こったらしいと強く感じたが
これについては
また
べつの話

いずれ
他の言語配列をすることで
記すかもしれない
記さないかもしれない

帰宅して
家で
空の青が輝くような暗みに変化していく夕刻
昨日から見直し続けていたサム・ライミ監督の『ギフト』(2000年)を
ずいぶん細部を忘れてしまっていたと思いながら
見終えた
ケイト・ブランシェットが霊能者を演じ
霊能者であることの面倒をよく描き出している映画で
占い能力に秀で
限定的だったが強い霊能もあったエレーヌ・グルナックと
神霊現象の描き方をあれこれ評釈しながら
21世紀のはじめに見たものだった

ケイト・ブランシェットの演じる主人公は
霊視の支えとして枚数の少ないエスパーカードを使っているが
あらゆるカードを持っていたはずのエレーヌが
なぜかエスパーカードは使わなかったことに
今頃になって気づく
タロットカードの大アルカナ22枚で十分でもあり
トランプカードでも十分であり
他の少なめのカードでもできるから買わなかったのだろうが
小さなことに
何年も経ってから
このように
ようやく気づいたりする

魔女エレーヌ・グルナックが
極東の守りとして
じつは日本の大災厄を抑えていたということは
荒唐無稽に聞こえすぎるので
なるべく言わないようにしてきたが
そろそろ言ってもよい
彼女は1977年に来日して以来ずっと東京に留まり
2010年10月31日のハロゥインの日に逝った
その4か月と11日後
あの巨大地震が来襲して
なによりも核の災厄のパンドラの箱を開け放って
根源的に戦後日本を崩壊させた

エレーヌ・グルナックにまつわることは
また
べつの言語配列に拠るべきだろう




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