2019年3月14日木曜日

目には見えなくても肌には寄せ来るような



わたしにつながっていなさい。
わたしもあなたがたにつながっている。
ヨハネによる福音書15



生活は不思議な泉かなにかのよう
汲めども尽きぬいそがしさを
無尽蔵に湧かし続ける

ベランダの植物たちに向きあったり
じっと見つめたり
そんな時間がこの数年は減ってしまって
あんなに慈しんだ花木たちも
或るものは委縮し
或るものは枯れ
或るものは気息奄々

用事に雑事に
追われに追われたすえの
何度目かの春の来訪をはっきりと感じて
ひさしぶりにと
枯れたものを引き抜いたり
土をシャベルでほぐしたり
鉢の配置を替えたりして
ひとつひとつをじっくりと見つめ
幹や茎や枝を撫で
まだ開かぬ芽に触れて
植物たちといっしょの心となった

とりわけ
いつも脇に押しやりがちだったオリーヴの木を
十何年ぶりだろうか
居間からよく見えるところに出して
枝葉を大きく広げられるようにしてやった
もう十七年ほど前になろうか
二十センチほどの小さな若木を園芸店で見つけ
長持ちなどしないだろうとは思いつつも
興味本位に買ってみたのだったが
それが今は一七〇センチほどに伸びて
ごく数粒だが晩秋には実をつけるようにさえなった
鉢植えでなく地面に植えていれば
三メートルぐらいにまで達していたかもしれない

ほんの少しばかりであっても
見つめられ
気持ちを向けられ
世話をされてみると
うれしいのだろう
こたえようとするのだろう
植物たちは見違えるほど輝き出し
目には見えなくても肌には寄せ来るような
よろこびの波を発しはじめる
たゞ見てくれた
たゞ気持ちを向けてくれた
それだけのことで
しっかりとこちらの心につながってくる

そんな植物たちのすがたを見て
気づかされるのだ
いのちのないはずのモノたちも
同じなのではないかと
ひとつひとつ
見つめられ
気持ちを向けられ
触れられて
しかるべく用いられたくて
みな
硬く悶えているのではないかと
それだから
モノを持ち過ぎたりしては
いけなかったのだと



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