いろいろなことを思うが
いろいろなことなどぼくは思っていない
と
思うだろう
思ってもいないだろう
混んだ電車のなか
まわりのこれらの人たちは
みんな
それぞれの意識に浮かぶ思いで
どうやら
大忙しのようだ
ひとりひとりというこの恐ろしい蛸壺のなかで
意識たちは夢を見続けている
ときおり
あたりを見まわしてみると
二十人のうち十八人ほどはスマホを見つめている
スマホが消滅した数千年後の知的生物たちよ
あるいはスマホの出現しなかった数十年前の人間たちよ
スマホというのは硬化ガラス製のモニターを見つめる機械で
そこにはさまざまな色やかたちや
文字と呼ばれる直線や曲線の記号が映し出されるのだ
それらを見つめながら2000年代の人間たちはなにごとか夢想し 続ける
喜怒哀楽したり企てたり
じぶんでも記号配列を行って他人に送ったりする
むかしの女の子たちが田園で花輪をちょっとでも巧みに編もうとし たり
綾取りで複雑なものを編んで他の子に渡そうとしたり
敵のサインをしっかり盗んで野球試合に勝とうとする男の子たちの ように
いろいろなことを思うが
いろいろなことなどぼくは思っていないと思われているだろうし
思われてさえいないだろう
混んだ電車のなか
まわりのこれらの人たちは
ぼくが思うことはあまりに多すぎるし
それらのいくつかを「文書」なるものに「表現」したりして
見えない電子網にサッと乗っけて拡散したりもしないから
混んだ電車のなか
ぼくという人類の小さな一端末はなにも思わなかったことにされ
さらには
居ても居なくても同じだったことにされ
さらには
けっきょく居なかったことにされ
数十年もすれば
本当に居なくなるから
見えない電子網に「文書」なるものを「表現」 し続ける人間端末たちも
もはや「文書」や「表現」があまりに厖大過ぎ
そうした人間端末たちもあまりに多過ぎるがために
居ることが居ないことで
居ないことがそれほど居ないことでもなくなっている
そんな状態に入っているので
つまりはなんの「表現」もしなかったのと同じになっている
ように
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