2019年4月6日土曜日

こんなふうに曖昧に思うことができているやすらぎを

 
桜の美しい場所なので
ひさしぶりに旧居のあたりに行ってみると
桜並木の続く川の土手は数年にわたる工事中で閉鎖され
家からひろく望まれた西空は
新たに建築され出した巨大なマンションで
すっかり遮られてしまい
大きな屏風がこの先ずっと
西のほう一面に立ち続けることになるのを知った

じぶんはもう住んでないけれども
景観の変化を見ながらしずかなショックを受けた

まったく同じ暮らしには戻れなくても
なにかあったらまたあそこに帰れないこともない
そんな思いを曖昧に持ち続けるのは
精神安定にのためにはなかなか悪くないやり方だったのに
そんな場所がまたひとつ決定的に消えてしまった

実際にはあそこに戻ってふたたび暮らすというようなことは
いろいろ考えれば絶対にあり得ないのはわかっているが
それでももしまたあそこに住むようなことがあったら
桜にも緑にも大空にも虫の音にも恵まれてなんと幸せだろう
野良猫もたびたびやってきてまた馴染みになったりするだろうにと
こんなふうに曖昧に思うことができているやすらぎを
またひとつ失ってしまった平成の終わりの桜の時節




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