すこし離れたところでサイレンが聞こえる
なにをやっても意識はすぐに自動機械化し
その機械の運動が意識自身をたちまち縛り始める
自動機械化をすみやかに行える意識は“賢い”と見なされがちだが
この“賢さ”がじつは愚かさの核心でもある
必要なときだけ自動運転を利用できれば“賢い”と言えるが
特定の運動性だけを発揮する自動運転につねに縛られていれば
これほど愚かなことはない
すこし離れたところでサイレンが聞こえる
わたしは都会の夜のなかで今これを書いている
都会の夜のなかに今いない人に告げておこうか
ここで聞こえる
すこし離れたところのサイレンが
なんと魅力的なことか
と
都会のサイレンは意識の自動機械性をいくらかは断ってくれる
意識に対して鳴るサイレンなのだ
夢をまた見ていたのかと気づかせてくれる
人生という夢を
生きている
などという夢を
もちろん
覚めた先も永遠に夢なのだが
覚めて覚めて覚めて行くしかない
付言
わたしは都会でないところでも長く長く生を送った
深山から何十年も下りずに生を終えたこともあれば
大河の流れの上に浮きながら瞑想三昧の生を送ったこともある
ガンジス川の上にはまだわたしの2000年前の肉体が座っている はずだし
大ピラミッドの秘密の部屋のなかではわたしの生体が保存されてい る
アレクサンドリア図書館に籠もってパピルスを読み続けたこともあ る
ひさしぶりに悪友サン=ジェルマン伯爵に会いたいが
彼は今はべつの惑星に行っているはずなので
急ぐまい
サイレンがまだ聞こえる
0 件のコメント:
コメントを投稿