行くところがわからないほど
崇麗なものはないだろう
すべて偶然の神託によるべきだ
ゴマと火と塩とヴィーナスの
先見にたよるばかりだ
西脇順三郎「生物の夏」in「禮記」
ツイッターで
最近の社会問題についての論調をいくつか調べているうち
それぞれの
ツイートに
纏わりついてくる
リツイートだの
お勧めツイートだの
に
寄り道していく
そうするうち
に
元々の問題圏など遠く離れ
つい数十分前
スマートフォンを点してツイッターのアプリを開くまで
こちらの意識の中
に
全くなかったテーマやら
感情表現やら見解やら認識の歪みや奇妙なほどの真っ当さやら
が
かなりの数と量とヴォリュームと奥行きで
「
私
」
を
いつしか
包んでしまっていて
もう
出られない
興味の松明
を
この
言語配列の
巣窟
に
向け続ける
かぎり
あ、もう二時間半
が
経っていたのだな
と
気づくのは
腰の疲れを覚えたり
重ねた脚の痺れに恐れを感じたり
目の焦点が合わなくなってきていたりして
離脱しよう。今は。
そうして
巣窟のそのあたりから
数時間後に
あるいは翌日に
また
探訪掘削を繋げていく
こうしながら数週間が経って
この世のいわゆる令和元年(2019年)の8月は
肉体の揺蕩っている界では最低限の心身維持だけをしたまま
ツイッターの管の
先へ
先へ
と
の
探訪
だけ
が
続いて
いた
ツイッター
に
関しては
時間の無駄であるとか人心の汚れの極みの沼であるとか
否定的な言辞が
理性的ぶった人々から多く吐かれるが
わたしの見出したのは逆で
どんな書物よりも映画よりもヴァラエティーよりも面白い
作家でもライターでも芸術家でもクリエイターでもない人々の
見事な言葉配列の雲海だった
最近の社会問題などこれっぽっちも意識に上らせず
に
歴史とも社会とも時代とも人類とも接触せず
に
ひたすらソックスとスカートの色合わせ
に
悩む少女が居たり
デモ
に
なんの関心も持たず
に
職場の同僚
に
日々ムカついている
香港の青年が
飼っている金魚の数匹を描写し続けていたり
韓国
に
居て生活している日本人の若者や中年たちが
日韓関係のギクシャクなどとはなんの関わりもなし
に
ソウルの小さなレストランで働いていたり
地方の酒場で昨日は仕事をミスって
主人からひどく怒られて落ち込んだと書いていたり
ミャンマーからタイ
に
ふらふらやってきた旅の青年が
気持ちいいもんだからどうしても日中はビールばっかり飲んでると か
夜になるとマッサージ
に
行ってそれからまたビール飲んで寝るとか
しかもそれらが的確な生き生きした文体で書かれ続けていて
スマートフォンで見られるどんなサイトの報道文よりも
エッセー文や論説文よりも面白く
次々と日を遡って読み進めているといつのまにか
数年分を読まされてしまうようなことも多く
気づくと
令和元年の東京の8月の時間は数時間経過してしまっているのだっ た
わたしもこれまではツイッターを蔑みがちであったが
この令和元年8月の全方向性ツイッター読書体験は転機となった
もうたいていの書籍は要らないのであり
もうたいていのニュースサイトは要らないのであり
家の中でも手元でもどんな時でも
ただキビキビと動いてくれる最良のコンディションの
スマートフォンさえあれば
読む
は充たされること
に
なろう
と知った
もうペーパー
に
触ることはないだろう
もうご大層な名を冠した偉そうなメディアも要らないだろう
読む
はいつも最高度
に
奇想天外
荒唐無稽
でなければならないが
ただ偶然の神託によって
未知の人のツイートからさら
に
別の未知の人のツイートへ
ずんずん深み
に
ずんずん遠くへ
読み進めていく以上
に
奇想天外
荒唐無稽
崇麗
なものはないだろう
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