ガンが見つかって
手術を済ましてきた知りあいのメールに
返信をする
それまでぶつかることの多かった夫が
入院中は甲斐甲斐しく世話してくれたというが
帰宅してみると
夫がテレビの音量を大きくしてうるさいことや
洗濯物を出しっぱなしにしていたりで
やはり
はげしいストレス
こういうのは
聞いてあげておけばいいので
まじめに助言をすると
かえって
めんどうを引き起こす
あれこれ
あたりさわりなく書き送りながら
そういえば
ぼくはまわりのゴタゴタが
あまり気にならないな
と思いなおす
で
こんなふうに書き送る
ぼくは、 自分自身こそがいちばんどうしようもない奴だと知っているので、 たいていのゴタゴタは気になりません。
テレビの音量より自分のなかのムダな思いの音量のほうがいつもう るさいし、心のなかの洗濯物の出しっぱなしのほうがひどい。
それと比べると、まわりのことは、いつも、 なぜかそのように存在している、 その時だけの舞台背景のように見えます。
それと比べると、まわりのことは、いつも、
いま見え聞こえているこの光景、風景、この見えかた、 これが現実というものなんだ、といつも驚いてしまうのです。
死ぬ時は、これらも懐かしく思い出されるんだろうなあ、 と見えます。
そう思って見ると、まわりのものって不思議です。
死ぬ時は、これらも懐かしく思い出されるんだろうなあ、
そう思って見ると、まわりのものって不思議です。
このタオルも、あの食器も、なんでもないもののようでも、 本当に細いギリギリの縁の糸で繋がって、 自分のところに来たんだなあ、とよく思います。
そういう「縁」が、もののかたちを取って、そこにある。「縁」 がいまの自分を作ってきたのだし、「縁」 はたぶん自分そのものです。
そんなふうに考えると、いまのまわりのものの状態が、 いまだけの自分そのものに見えてくる。
そんなふうに考えると、いまのまわりのものの状態が、
なんだか、これだけで、十分満ち足りてしまう感じなのです。
けっこう
ほんとのこと
書いちゃったなぁ
と
メールの効用に
ちょっと
驚く
じぶん自身に対する
効用に
じぶん自身に対する
効用に
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