2019年9月22日日曜日

だれひとり令和へは生きのびていけなかった


若気の至り
というが

若気がずいぶん至っていた頃

画家や
彫刻家や
カメラマンや
舞踏家や
ダンサーや

そうして
詩人や
歌人や
俳人や

くわえて
ライターや
コピーライターや
編集者や
コーディネーターや
わけのわからない中継ぎ業者や

などなどと
つぎつぎ知りあいになって
営業の仕事でもないのに
週に100枚の名刺交換でも足りないほどだった

ひっきりなしに
発表会や
個展や
朗読会や

ひっきりなしに
飲み会や
打ち上げや
パーティーや
クリスマスパーティーや
忘年会や
新年会や

ひっきりなしに
送られてくる
詩集
歌集
句集
写真集
インヴィテーション
ちょっとしたプレゼント
お中元
お歳暮
バレンタインのチョコレート

あまりに数が多くなりすぎて
ある頃から
会にはあまり行かなくなり
朝までの飲み会にもつき合わなくなった

それでも
十年以上は
インヴィテーションは届き続け
詩集もプレゼントも届き続け
ちょっと美人のダンサーなんかには
ちょっと野性味ある女性カメラマンなんかには
会い続け
もちろん朝帰り

それでも
二十年も経つと
インヴィテーションも来なくなり
詩集も来なくなり
ちょっと美人のダンサーはスキルス性のガンで急死し
ちょっと野性味のある女性カメラマンは田舎に帰って老父の介護
いつのまにか
メールさえ返ってこなくなり

いまでは
ちょっとネットで検索しても
だれひとり
活動を続けておらず
だれひとり
名前も挙がってこないのだ

たぶん
三〇〇人は超えていた
あの人たち
すっかり消滅して
たったのひとりさえ
残っていない

だれひとり
令和へは生きのびていけなかった
ぼくの友だちたち
ぼくの知りあいたち
ぼくのゲージツカたち
ぼくのクリエーターたち

アーメン



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