「どうせ」
なんて言葉を言うんじゃない!
と
戦争も知らない子どもたちのぼくらに
世間という戦場で戦うための軍事教練を
わざわざしてきてくれちゃう教官殿が
やっぱり
ときどきいるが
そんな人って
“どうせ”
チープな根性論とか
さらにチープなポジティヴ・シンキングとか
さらにさらにチープなスピリチュアル系引きよせ論とかを
やけに読みやすくつくってある
ビジネス書とか
スピリチュアル系書籍とかで
立ち読みして
考えをごった煮にして仕込んできただけのことで
“どうせ”も“どうせ”
ほんとは“どうせ”の随みたいな人なんだよね
ぼくは
「どうせ」
って
好きだよ
愛用している
やけに多用する
これからも
積極的に用いていきたく思っております
「どうせ」は
高すぎる理想や夢がなければ
ぜったいに出ようがない言葉だし
まったく思い通りにならない
厳しい
過酷な現実にさんざん揉まれて
惨憺たる失敗や
ふんだんに落胆を抱えるようになってしまっていなければ
口をついて出てこない言葉だから
言ってみれば
名誉の負傷の傷跡や
功労勲章みたいなものだ
「どうせ」
って
すぐに言う人たちは
人生の極寒のシベリアを知っている人たち
叶えたい理想のために
少しでも近づきたい夢のために
やっぱり
今回も
天は味方せず
状況は好転せず
糧秣は足りず
武器は整わず
と
わかっていながら
それでも
逃げ出さずに
持ちこたえようとする人たち
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