神は御心に留められた
人間は肉にすぎず
過ぎて再び帰らない風であることを
詩編78・39
詩のようなかたちのものを
もう
数万編は書いてきたと思います
詩集を出せ
と
よく言われます
出したい人は
出したらいいと思います
略歴に
むごたらしく
みにくく
出した詩集を並べたりしない
業績などと呼んだりしない
詩人会などに加わったりしない
中年会や老人会にいつのまにかなっていく
詩人たちの飲み会に集ったりしない
そんな節度を
死ぬまで保てるならば
詩人の
というより
みんな
ほかの才能がないものだから
詩人としか呼びようのない
知りあいは
ほんとに
いっぱいいました
かれらは
けっこう詩集を出していました
でも
30年以上経ってみると
だれの詩集も
本屋さんには残っていません
古本屋でもまず目にはしません
出版されたときは
仲間が集まってパーティーをしたり
ちっぽけな書評がいくつか出たり
ちょっとの賑わいが
さざなみ立ったりしましたが
なぁんにも
残っていない
とくに1990年代に入ったら
ダメ
80年代までのやり方で
なんとかじぶんの自我を世間化しようとしても
もう
オールドファッションド
そうして
世間は
80年代までのオールドファッションドに
徹底的に
きびしく
つめたく
なってしまったのです
出した本を
ちゃんと送ってあれば
国会図書館にはきっと残っているでしょう
でも
わざわざあそこに読みに行く人が
どれくらいいるでしょう
100年や300年や
そのくらい経ったら
再発見されて
ロートレアモンみたいに
世界の文学シーンを
ふかく変えたりするのでしょうか
無数に無限にしょうこりもなく
屋上屋を架さんと
大量生産され続けている
ことばの表現の
大海
乱流
泥濘
汚濁
のなかで
詩
って
至上のもの
であるべきだとは思うのです
珠玉
粋
至宝
そういう質に至っていないものを
詩
とみずから呼んで
憚らない人を
わたしは詩人とは認めません
恥を知れ!
と思うのです
仲間うちで褒めあって老いていく人たちも
たゞ
たゞ
さびしいのです
でも
その人にも
その人たちにも
言いません
言っても通じないでしょう
だれも見たくもないその人の自我を
平気で露呈して
詩
だなんて
呼べる人たちには
それでも
詩
はあるべきです
では
どうしたら
詩
はありうるのでしょう
どうしたら
詩
は印刷されたり
本になったり
し得るのでしょう
けっきょく
のちの時代の他人たちに
判断を
ぜんぶ任せるしかないのです
至上のもの
珠玉
粋
至宝
それを決めるのは後世です
いまの仲間うちで良く思われたって
仲間の外で
仲間たちがみんな死に絶えたあとで
至上のもの
珠玉
粋
至宝
と思われなければ
なんにもなりません
完全な受け身
完全な孤絶
されるがまま
誤解されるがまま
忘れ去られるがまま
そんな扱いを受けながら
それでも
至上のもの
珠玉
粋
至宝
としてメモされたり
わざわざ本に編まれたり
すてきな装幀まで施したくなっちゃったり
そうされる
ほんとにごくわずかなことばの束だけが
文字のならびだけが
詩
だから
書くだけ書いたらいいのです
粗末な印刷をしてみるくらいのことは
許されるでしょう
でも
やっていいのは
そこまで
あとは
されるがまま
誤解されるがまま
忘れ去られるがまま
完全な受け身
完全な孤絶
書いた人の人生のあれこれも
こまかな喜怒哀楽も
夢も
悔恨も
希望も
愛も
愛の不毛も
すべて
いったんは忘れられ尽くしてしまうまで
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