湯船に浸かりながら
以前の住まいの湯船の浸かりぐあいを思い出そうとする
今の住まいの湯船よりも大きくて
身長180を超えるからだの脚をすっかり伸ばせるほどではないけ れど
それでもかなり伸ばして入れる大きさがあった
風呂に入るたび
大きな湯船が家にあるのはいいものだと
その点特別に幸福な七年間だった
今の住まいの湯船も悪くはない
前の住まいの湯船よりも白くつるつるで美しいともいえる
けれども前の湯船よりはすこし小さくて
そのぶん脚をもうすこし折って入らないといけない
じゅうぶん満足できる大きさではあるけれど
入るたびに前の住まいの湯船の幸福を思ってしまう
湯に浸かりながら眠ってしまうと頭が湯に潜ってしまいかねなかっ た
あの大きさを思ってしまう
さらにその前に住んだ家の湯船は正方形の旧式のもので
小さくはなかったが脚を折って座って入るタイプだった
ときどきは使ったがあまり湯船に浸かることのない頃だった
さらにその前の前に住んだ家の湯船も正方形の旧式のもので
やはりあまり湯船に浸かることのない頃だった
その頃は猫が家にいて
シャワーの後の残り水が風呂のなかのあちこちに落ちているのを
よく飲みに入って行っていた
湯船に浸かりながら
さらにその前の前の住まいは
さらにその前の前の前の住まいは
と思い出そうとする
思い出せる
そうして
子どもの頃の家の
まだシャワーもなくて
蛇口をひねると水しかでなかった風呂に記憶はたどりつく
蛇口を湯船の上に持っていって水を溜めて
ガスを付けて炊いて風呂を立てるのだが
ガスをすこし出しながらマッチを近づけて点火するのが
湿った日などときどきうまくいかず
ボン!と音を立てて小爆発するのでひやひやだった
シャワーがないから
身体を洗った後も髪を洗った後も
湯船から盥で湯を汲んでかけて泡を流すのだが
一度や二度では洗い落とせないから
何度も湯を汲んではかける
湯船の湯が減ってくるとまた蛇口から水を足して
ガスを強めたりもう一度付け直したりして湯を沸かす
シャワーがあたり前になった現在では考えられないような面倒を
風呂に入るたびにやっていたのだったなと
懐かしくも不思議にも思う
頭を洗った後のシャンプーの泡を洗い流す時には
片手で髪の毛を掻きながら
もう片手で湯の入った桶を持ち上げて
傾けて湯をかけ続ける
そんな面倒くさいことを風呂に入るたびにくりかえし
その頃の子どものわたしは
こんな今のわたしを彫り出すべく
日に日を重ね続けていたのだったか……
まるで
あの頃のわたしこそ大人で父祖で
今のわたしこそ子で子孫であるような
不思議な途惑いに
ゆらゆら
たゆたってしまう
湯船に浸かりながら
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