2020年2月27日木曜日

湯船に浸かりながら




湯船に浸かりながら
以前の住まいの湯船の浸かりぐあいを思い出そうとする

今の住まいの湯船よりも大きくて
身長180を超えるからだの脚をすっかり伸ばせるほどではないけれど
それでもかなり伸ばして入れる大きさがあった
風呂に入るたび
大きな湯船が家にあるのはいいものだと
その点特別に幸福な七年間だった

今の住まいの湯船も悪くはない
前の住まいの湯船よりも白くつるつるで美しいともいえる
けれども前の湯船よりはすこし小さくて
そのぶん脚をもうすこし折って入らないといけない
じゅうぶん満足できる大きさではあるけれど
入るたびに前の住まいの湯船の幸福を思ってしまう
湯に浸かりながら眠ってしまうと頭が湯に潜ってしまいかねなかっ
あの大きさを思ってしまう

さらにその前に住んだ家の湯船は正方形の旧式のもので
小さくはなかったが脚を折って座って入るタイプだった
ときどきは使ったがあまり湯船に浸かることのない頃だった
さらにその前の前に住んだ家の湯船も正方形の旧式のもので
やはりあまり湯船に浸かることのない頃だった
その頃は猫が家にいて
シャワーの後の残り水が風呂のなかのあちこちに落ちているのを
よく飲みに入って行っていた

湯船に浸かりながら
さらにその前の前の住まいは
さらにその前の前の前の住まいは
と思い出そうとする

思い出せる

そうして
子どもの頃の家の
まだシャワーもなくて
蛇口をひねると水しかでなかった風呂に記憶はたどりつく
蛇口を湯船の上に持っていって水を溜めて
ガスを付けて炊いて風呂を立てるのだが
ガスをすこし出しながらマッチを近づけて点火するのが
湿った日などときどきうまくいかず
ボン!と音を立てて小爆発するのでひやひやだった
シャワーがないから
身体を洗った後も髪を洗った後も
湯船から盥で湯を汲んでかけて泡を流すのだが
一度や二度では洗い落とせないから
何度も湯を汲んではかける
湯船の湯が減ってくるとまた蛇口から水を足して
ガスを強めたりもう一度付け直したりして湯を沸かす
シャワーがあたり前になった現在では考えられないような面倒を
風呂に入るたびにやっていたのだったなと
懐かしくも不思議にも思う

頭を洗った後のシャンプーの泡を洗い流す時には
片手で髪の毛を掻きながら
もう片手で湯の入った桶を持ち上げて
傾けて湯をかけ続ける
そんな面倒くさいことを風呂に入るたびにくりかえし
その頃の子どものわたしは
こんな今のわたしを彫り出すべく
日に日を重ね続けていたのだったか……

まるで
あの頃のわたしこそ大人で父祖で
今のわたしこそ子で子孫であるような
不思議な途惑いに
ゆらゆら
たゆたってしまう

湯船に浸かりながら





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