2020年4月30日木曜日

無限旋律の世界だからあしからず


新型コロナウイルスが中国で流行り出した頃に
学生時代にけっこう苦労して読み終えた
ガリマール社のブランシュ版の
アルベール・カミュの『ペスト』の表紙写真を
Facebookに載せてみた
これから
これみたいな時代が来るよ
という
幼いことこの上ない衒学趣味である

しばらくすると
世間でも注目する人たちが増えはじめ
カミュの『ペスト』の文庫本が売れ出したらしい

けれども
もう
みんな
読み終えちゃったのかな?
新型コロナウイルスが
カミュの『ペスト』なんぞ凌駕しちゃったから
もう
興味も持たれなくなったのかな?

人心なんて
流行なんて
まぁ そんなもの

ちなみに
学生時代に苦労して読み終えたのは
カミュのフランス語が難しかったからではなくて
『ペスト』がつまらなかったから
世界文学を変えてしまった『異邦人』の画期的なあの輝かしさを
カミュ自身がついに超えられずに
湿った線香花火みたいに終わってしまったから
だからカミュもあれをレシrécitと読んだのかもしれない
短い『異邦人』はロマンromanだからね
ぜんぜん扱いが違う
もちろんどちらが上だという話ではないが
ジイド以降の
ロマンか
レシか
さらにはヌヴェルかは
小説形式論上の大問題として残っている
いずれにしてもカミュの『ペスト』が失敗作だというのは
小説好きのあいだでは常識だった

このあたりの議論を
え?知らないんだけど……
という人は
小説論は諦めたほうがいいですね
シャルル・デュ・ボスや
チボーデや
リカルドゥーあたりを
大急ぎでおさらいすべきだと思います
マジで

ロブ=グリエの『新しい小説のために』から始めてもいいかな?
バフチンもロシア・フォルマリズムも必要だけど
ちょっと違う路線からのアプローチとなる
そりゃあ
ロラン・バルトの晩年の小説論講義も読まなければいけないけれど
あれは私もちゃんと読んではいなくて
恥ずかしい
恥ずかしい
恥ずかしい

1959年から執筆開始された『最初の人間』は
彼の交通事故死で未完の遺作となったが
この作品は
小説家としてはどんどんダメになっていったカミュの
変身を
変貌を告げる
みずみずしい作品だった
未完でも十二分に素晴らしい作品で
大久保敏彦氏の翻訳が出た際に
北海道新聞から書評を頼まれ
私はずいぶん好意的なものを書いたが
間違っていなかったと思う
1957年の『追放と王国』のつまらなさを完全に凌駕していて
新生カミュを高らかに告げる作品だった

ところが
面白いことがあるのだ

最近になって
あんなにつまらないと思い込んでいた『追放と王国』が
ふいに
やけに面白く見えてきている
雰囲気はサルトルの『壁』のそれを継いでいる感じで
いや
それよりなにより
ヌーヴォー・ロマンにカミュ自身がすでにすっかり入り込んでいる感じで
そうした点は以前に感じていたとおりだが
どこか
アメリカの荒野を扱った小説のような自由な雰囲気を嗅ぎ取れるように
私自身がなってきた
なにより
フランス語も作品形態も素晴らしいのだ
『追放と王国』の場合は
ようやくにして
今の私の目からは
そう見えるようになったわけで
だから馬齢も
重ねる意味があるというものなのだ
たゞ無意味に流れていっただけに見えていたのに
歳月のちからというものは
やはり
恐ろしい
私をほんのちょっと
ほんのちょっとだけだが
愚鈍で
なくしてくれたか
思わせて
くれる

ちなみにちなみにちなみに
疫病物なら
ダニエル・デフォーの『ペスト』のほうが
カミュの『ペスト』より
よっぽど素晴らしいと思う
というか
これも
文科の人間にとっては
ほぼ常識

もちろん
常識は
覆されるべき
という前提の上での
常識だが

文科は
どこまでいっても
決着
というものがないので
あしからず

ああいえばこう言う
こう言われれば
ああ言い返す
無限旋律の世界だから
あしからず





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