2020年4月30日木曜日

私の買った琺瑯引きのやかん

 

いま使っている銀色のやかんは
ステンレス製なのだろうと思うが
ずいぶん長く使っているので
まわりに茶色く焦げついた汚れが付いている
なんどか洗ってみたので
汚れが落ちるのはわかっているが
ぜんぶを落しつくすのは難儀なことで
小一時間ほどかけても
どこかに汚れは残ってしまう

もちろんはじめはピカピカの銀色だったが
じぶんの生活にこれが入ってきたのは
いつのことだっただろうかと
ときどき思いながら湯を沸かす

ひとりで住んでいた小さな部屋では
青い琺瑯の胴に赤い琺瑯の蓋
蓋の丸い取っ手や柄は黒い耐熱プラスチックの
ちょっときれいなやかんを使っていた
そこを引き払う時にこのやかんは
近くにいたエレーヌにあげてしまったが
彼女はその後あれを死ぬまで使って
死んだ時にはだれかが形見の品として
持っていってしまったはず

こちらはこちらで引っ越した後は
今も使っている銀色のやかんに替えたが
さてこれがいつ手元にやってきたのか
あまりはっきりとは思い出せないでいる
妻が持ってきたのだったかもしれない
ふたりで新たに買ったのだったかもしれない
なにせふたり分の家具を三軒茶屋に集結させ
冷蔵庫も二台あったしテレビも二台あったし
場所を取るソファまでも二台あったので
どこかのガレージみたいな生活のはじまりだったが
やかんはエレーヌにあげてしまったのだから
こればかりはひとつしかなかったはず

エレーヌのほうにもやかんはあったはずだが
それはどうなったのかと思い出してみると
たぶん空焚きをくり返して底が薄くなっていて
そのためちょうどよいということで捨て
私のやかんを使わせることにしたのではなかったか
やかんというのはときどき空焚きしてしまうもので
それをくり返すと底の金属がぺなぺなになっていく
たぶんアルミかアルマイトかのやかんだったと思うが
それはいっしょにエレーヌと暮らした池の上から
代田までをずっと付き添ってきた金物で
それにはそれの歴史がちゃんとあるのだった

エレーヌにあげた琺瑯引きのやかんは
下北沢の大丸ピーコックで買ったのを覚えている
昔は2階がホームセンター部門になっていて
1991年ごろに住まいとべつに書斎を借りる際に
ソファやテレビデオや姿見や食器などとともに
ちょっと楽しげなものを買ってみたのだった
ソファやテレビデオはもう捨ててしまったが
姿見も食器もまだまだ健在で壊れる様子さえない
物というのはほんとうによく保つものだと思う
やかんだって物持ちのいい私が使い続けていれば
今でもまだちゃんと手元にあったと思うのだが
エレーヌにあげてしまったので彼女の死後に
人手に渡っていってしまった

持っていったのはジャクリーヌだと思う
エレーヌの同僚のギリシア系フランス人で
我が儘で失礼で傲岸で不愉快なフランス語教師だったが
まだ東京のどこかで教えているとは思う
エレーヌの遺品をあれこれと持っていったのは
こちらも助かるのでべつにかまわないが
持っていったといっても私が配送する手間も
配送料も払ってやったわけで
布団だの電話機だの何冊もの分厚い本だの
ダウンコートなどのたくさんの衣類だの
それらを送るとなるとちょっとは値が張るし
なによりずいぶんと面倒でもあった

困ったのはエレーヌがずっと使っていた
古いテーブルがどうしてもほしいというので
彼女がフランスに帰ったりギリシアに帰ったり
また日本に戻ってきたりするあいだに
何ヶ月もエレーヌの住居を私が借りたままに
しておかなくてはならなかったこと
ひと月10万円の家賃だったので
エレーヌ亡き後は私が払い続けなくてはならず
ジャクリーヌのこのテーブルほしさのために
数ヶ月を延長して借り続けていたのだから
40万ほどは彼女のために出て行ったことになる

ようやく引き取れそうな状態になったらしいので
それではいつ送ったらいいだろうかと聞いたら
ジャクリーヌはもうあれは要らないと言い始めた
これには私も完全に頭に来たものだったが
なんどとなく議論してこのフランス女をわかっているので
それではと不要品回収の車に引き取って貰った
こう一行で書くと古物払いも楽なようだが
業者選びや日時決定や住居の道路の柵開けのお願いや
いろいろと面倒なことの堆積の末に実現したこと

それから数ヶ月してジャクリーヌから連絡があって
あのテーブルやっぱりほしいのだけれど
いつ送ってくれる?と言ってきた
あれはもう捨てちゃったよと伝えると
あんないいものを捨てちゃうなんて
信じられないなどとぶつくさ言い出した
あんなものはもうなかなか手に入らないのに
とも言うのであんなのはどこにでもあった古物で
そもそも一度も家具を買ったことのないエレーヌが
帰国する留学生の友人たちから引き取った家具の
ひとつに過ぎなかったんだよと伝えたが
あんないいものを捨てるなんて
あんないいものを……と言い続けていた

このあたりを最後にジャクリーヌとは連絡を取らなくなり
年賀はがき程度をやりとりしていたくらいだったが
それもやがてむこうから返信が来なくなって
音沙汰がなくなっていった
五年以上した頃に共通の知りあいから
ジャクリーヌさんから留守電が入っていたんだけど
そちらにも連絡が来た?と話が来たが
こちらにはなんの音沙汰もないままで終わっていった
つき合わないほうがいい類のひとというのはいるもので
ジャクリーヌというのはその最たるものだったが
私が選んで買ってけっこう大事にしていたやかんのやつ
あんな女のところに行ってしまって
苦労することになってしまったかな
いまでも苦労しているのかな
などと思うことはときどきある



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