デスクトップパソコンの大きめの画面で
小津安二郎の『東京物語』を数秒単位で止めながら見直していたら
正面からカメラを見て撮影される笠智衆や高橋とよの視線が
じつはほんのわずかだけ
レンズから逸れたあたりに向いているのに気づいた
5分5秒あたりからのことだが
映画館の大画面やテレビの画面上でさえも
あまり気づかないで済ましてきてしまっていたので
どのような機械で見るか
見直すか
今さらながら
これもやはり大事なことなのだ
と思わされる
とりわけ
高橋とよのまなざしを見ながら
とうの昔に逝った労働法の専門家渡寛基先生のことを思い出した
先生とはたびたび話す機会を持ったが
ある年に急に休講が続き
夏休みが終わってからまたお会いした時には
大腸ガンの療養でお休みされていたと聞かされた
そうですか
でも
よくなられてよかったです
などと話したが
またすぐに休講が続くようになり
冬になる前に亡くなったと知らされた
高橋とよの微妙なまなざしの逸れに
渡寛基先生のまなざしの逸れを思い出させられたのだ
渡寛基先生はわたしと面と向かって話す時に
わたしの目を見ているようでいながら
わたしの目から逸れたところに必ず視線を向けていて
けっして目を見ることがなかった
わたしの目を凝視しているかのようで
わたしの目を一度たりとも絶対に見ずに
目の周囲の目でないところにまなざしを向ける
これが一メートル以内で話す時の渡寛基先生のまなざしの所作で
これがまさにいつものことだったので
非常に印象深く感じられていた
渡寛基先生が亡くなったと聞かされて
一度としてわたしの目を見たことのなかった渡寛基先生が
亡くなってしまったわけか
と奇妙な感慨を持った
大学の教員ロビーにある飲料販売機で無料の緑茶を出し
紙コップの熱い表面を少し指を浮かせて掴みながら
決してわたしの目を見なかった渡寛基先生のまなざしのゆくえを
茫漠と思い遣っていた
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