2020年5月28日木曜日

さんま、さんま さんま苦いか塩つぱいか。



マスクをわたしはしないけれど
マスクをわたしはすることもある
秋冬に風邪気味になった時なんかマスクはいい
メトロの空気がどれほど埃だらけか
ときどき光のぐあいなんかでよく見えるが
あんな時にはやはりマスクは頼りになるような気になる
冬の寒い時なんかマスクをすると気管がたしかに温まる

シン・コロナで世間がはしゃいでいた時
マスクをわたしはほとんどしなかったけれど
べつに人がしているのはそれはそれでかまわなかった
きっと感染していると自覚している人や
感染したかもと心配な人たちが
わたしに移すまいとしてご丁寧にしてくれていたと思ったので
こちらは絶対に感染していないと感じていたら
マスクなんかする気にならなかったわけだが
べつにまわりの人がしてくれているのはかまわなかった
マスクをしろと言ってくる人がいたら
じゃあよこせよマスクといってやろうとうずうずしていたのに
みんなみんなやさしかったよというからたちの花の歌詞みたいだっ

マスクマスク
マスク苦いかしょっぱいか
と歌ったのは佐藤春夫だったかしら
あ、あれは「秋刀魚の歌」であったか
小津安二郎のほうは「秋刀魚の味」
佐藤春夫歌う――

さんま、さんま
そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみてなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。

佐藤春夫は慶応大學で堀口大學と同級生で
カッフェばっかり(もちろん他へも)入り浸っていて
からっきしフランス語ができないダメ学生だったらしいが
それでいて永井荷風先生には気に入られたのだから
なにがいいのか悪いのかわからんものである
そういえば永井荷風は身長一八〇㎝というから
昔としては1879年(明治12年)生まれとしては大きい
だから持てたんだねと言う人もいるが
やさしい人だったんだと思うよ

マスクから話がそれたがマスクだけを話題にしたって
つまらないじゃないか
自由詩の本性は逸れることにあるのでもある
テーマを決めて痩せ細った詩を仕上げた結果の死屍累々を
わたしはたくさん見てきたよ
思潮社から出したり書肆山田から出したりしても
はやければ数ヶ月以内長くても一年以内で話題から消える
ほんとうに線香花火の煙よりはかなく消えてしまうんだよ
そんな光景をたくさんたくさん見てきた結果として
詩を書いたらネット上に載せ続けるに限ると悟った
若い頃に身銭を切って詩集を出した連中とか
中年になってもまだ時どき出す連中とか
まったく哀れなもんで見ちゃいられなかった
たくさんもらったけどね、なにひとつ残っていないんだ
だって現代詩の世界にはひとつ暗黙の鉄則があるから
それは団塊の世代のうちの選民の一部までだけ多少は残るような
その連中にだけわずかながらに年金的な小遣いが入り続けるような
そんな収奪システムが隠微に引かれているというもの
その後の世代はせいぜいが購買者で賞讃者でしかありえないような
微妙かつ巧妙な設定が行われたのだった
詩というのはどの世代でも一定数惹きつけられる麻薬で
しかし一定数にしか作用しない麻薬であるばかりか
それ以外の人間には全くといっていいほど薬効がない代物なので
恒常的に永遠に商品価値がないという矛盾を生きる場所取り物であ

この話はいずれ長々とやることにしよう
早稲田大學の文芸専修で新井豊美さんを非常勤に呼んだ時
毎週の事務的な世話はわたしが行ったが
教室で聞いても学生がひとつも現代詩を読んでいないと嘆いていた
鮎川信夫も北村太郎も田村隆一も吉本隆明もいないのと同じ
早稲田でさえこうなんだっていうのは驚きですねと言っていた
じゃあどんなのをふつうは読むの?と聞くと村上春樹一辺倒なのだった
夏目漱石も読む人がいるというので聞いてみたら
高校で『こころ』だけ読んだというのよ
それ以外は本を開いたこともないのに漱石を読んでいるっていうの
といった事態なのであった
それでいて創作志望の学生たちの集まりだから
小説を書こう書こうとばかりしている
一学年100人がみんな小説家志望ですっていう雰囲気は凄いもの
やあ凄いね頑張ってね今からサインを貰っておこうかな
などとおだてて適当に話をしておくのだが
ついに誰ひとり村上春樹を超えた者はいなかった

そんなことを思い出しながら佐藤春夫を読み返すと
けっこう痛切である

さんま、さんま
さんま苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。

おや、
ついにマスクには
戻らなかった




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