朝まで仕事をしていて
昼前にようやく寝に就くようなこともある
夕方に起き出ると
一日がもう終わろうとしているのを感じ
ひどくさびしくなったことも
若い頃にはあった
しかし
歳を重ねるにしたがって
そういう思いは失せ
夕方はただの時間帯のひとつに過ぎなくなった
今日もそんな一日だったが
目覚めのときになぜか
モーツアルトの『レクイエム』のレコルダーレが
頭のなかに鳴っていた
Recordare, Jesu pie,
Quod sum causa tuae viae,
Ne me perdas illa die.
Quaerens me sedisti lassus,
Redemisti crucem passus,
Tantus labor non sit caussus…
そういう人が多いように
私もモーツァルトの『レクイエム』を
人生のさまざまな場面で痛切な思いで聞いてきた
だが思い出すとなれば
レコルダーレの部分ではなく
他の部分が多く
それらを聴き直すためにCDを出してきたり
ということが多かった
なぜ
レコルダーレが目覚めの頭の響いたのか
慈悲深きイエズス、
地上に御身が下り給うたのは、私のためでもあった
その日、私を滅ぼし給うな
私をさがし求め、疲れて座し給い
十字架の刑で私をあがない給うた者よ
その労苦をむなしくし給うな
歌の詩句を思い出しながら
今日の夕方の南の空を見ている
雲が覆っているが
南のほうだけ絶え間があって
うす青い色が覗いている
いつもそうするように
レコルダーレのふいの蘇りにも
私は急いで意味づけはしない
頭のなかで起こることも
こころのなかで起こることも
私には事件であり
私はいつも
それらをたゞ見つめる
雷が鳴っていたと思ったら
雨が降り出したようだ
美しい天候の急変!
私がいつも神とともにあると思うのは
こういう急変につねに見舞われ
そのたびに見惚れてしまうからだ
雨は激しくなっていく
ひとしきりの嵐となろう
雲は南のほうでは薄いままで
空の青は不変不動のままだから
この嵐のいのちは短いだろう
レコルダーレの言葉の響きに頭を委ねながら
短い嵐の贈り物を
しばらく楽しむことにしようか
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