2020年8月1日土曜日

放浪無残



こはいつの放浪無残老耄の母がみている海の夜の砂
馬場あき子



文弱ということばがあるが
これをもっとも嫌ったのは三島由起夫で
文弱の徒と呼ばれないために
必死に文武両道を気取った

腹まで切って
首まで落とさせたのだから
たいした人生演出だったが
いざ遂行してみれば
あれは極端なまでの文弱の裏返しだね
と腐されたりする始末

そんな下馬評ばかり飛び交う時代を
幼少時にながく見てきて
腹切りまでしても文弱と言われ続けるのなら
プルーストのようにコルク張りの部屋に閉じ籠もって
じぶんの妄想世界に耽溺するのも
中途半端な維新ごっこより
突き抜けた生きざまになるかも
と結論するようになった

文弱の徒でなかった文士は
はたして
世界のどこにいるのかしらん
と見まわしてみても
ほとんどいなくて
皆どこかしら
太宰治していて
人間ひとりの生きざまとしては
やはり避けたいようなケースばかりだが
スタインベックなどは
ちょっと格好いいかもと思った

ふだんは肉体労働者をして稼いで
長編を書くときだけ
ガーッと集中して書く
それが終わるとまた肉体労働
高校卒業後にやった砂糖工場労働からはじまり
大学入学後に休学しての
牧場労働・道路工事・砂糖工場労働などなど
大学中退後の大不況下の田舎生活に
生活保護や食料泥棒

このようにしてしか
見えない社会や他人たちや人間なるものがあり
他人からの蔑視や差別や罵詈雑言を受け
金銭不如意をしみじみと肌に帯びて
そうして
まれに疲れのすこし癒えた時にペンを執る人にしか
書き込みようもない細部や
キャラクターや言葉の綾というものがある

放浪無残の人生のさなか
東京でホームレスをやっていた時期さえ
わたしにあることなど
もう
誰も知らない




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