2020年8月22日土曜日

さびしいマスク

 

ほんとうの心情を吐露するということが

すっかり馬鹿にされる環境にばかり生きるはめになってから

わたしはわたしなりに馴染んできていた自由詩の形式も

ひたすらほんとうのことを言わないがための

さびしいマスクとしてばかり用いるようになってきていたと感じる

 

瞬間芸という言葉が流行りだした時期があったが

あの頃からお笑いや座興芸ばかりでなく

人と人が関わるしぐさのすべてが瞬間芸であるよう求められるようになり

それゆえすべては後腐れなく瞬間に忘れ去られ

人も出来事も思いも考えも喜怒哀楽も

パズルの取り替え可能なピースのようになって

たゞひたすらに時間をすらすら流していけばいいというような

人間未満こそが人間であるかのような不条理劇に

世の中がまるごとなってしまったからだろうかなどと

思ってしまってはいけないのかもしれないが

さびしいマスクの弄びに

もうこれっぽっちの面白みも感じなくなってみると

ほんとうの心情のほうへとわたしでさえ戻りたくなっていく

 

そんなものがあるかどうかとか

それを吐露なんてできないとあれだけ思い知ったじゃないかとか

すぐに噴出してくる各論のあれこれを

忘れてしまったわけでもないというのに




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