ほんとうの心情を吐露するということが
すっかり馬鹿にされる環境にばかり生きるはめになってから
わたしはわたしなりに馴染んできていた自由詩の形式も
ひたすらほんとうのことを言わないがための
さびしいマスクとしてばかり用いるようになってきていたと感じる
瞬間芸という言葉が流行りだした時期があったが
あの頃からお笑いや座興芸ばかりでなく
人と人が関わるしぐさのすべてが瞬間芸であるよう求められるよ
それゆえすべては後腐れなく瞬間に忘れ去られ
人も出来事も思いも考えも喜怒哀楽も
パズルの取り替え可能なピースのようになって
たゞひたすらに時間をすらすら流していけばいいというような
人間未満こそが人間であるかのような不条理劇に
世の中がまるごとなってしまったからだろうかなどと
思ってしまってはいけないのかもしれないが
さびしいマスクの弄びに
もうこれっぽっちの面白みも感じなくなってみると
ほんとうの心情のほうへとわたしでさえ戻りたくなっていく
そんなものがあるかどうかとか
それを吐露なんてできないとあれだけ思い知ったじゃないかとか
すぐに噴出してくる各論のあれこれを
忘れてしまったわけでもないというのに
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