2020年8月4日火曜日

“感情”を“歌う”のなら



詩というのは

やはり

感情を歌うものだろうか

 

そもそも

“歌う”

ものだろうか

 

“感情”を“歌う”のでは

情けないだろう

近代人として

などと

威勢を張ろうとした

とにかく

なにか

言いたがりの

それでいて

ヘーゲルほどの論述展開のできない

言語使用の短距離選手が

どうやら

知的貧者の最後の堡塁“詩”に流れたものと

見ているんだが

どうですかね、みなさん?

 

“感情”を“歌う”のなら

作詞作曲をして

歌い手になればいいのに

なにが

邪魔するのか

 

もし本当に

“感情”を“歌う”のなら





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