気ままな詩選を自分の愉しみのために。制作年代も意図も問わず、まちまちに。
詩というのは
やはり
感情を歌うものだろうか
そもそも
“歌う”
ものだろうか
“感情”を“歌う”のでは
情けないだろう
近代人として
などと
威勢を張ろうとした
とにかく
なにか
言いたがりの
それでいて
ヘーゲルほどの論述展開のできない
言語使用の短距離選手が
どうやら
知的貧者の最後の堡塁“詩”に流れたものと
見ているんだが
どうですかね、みなさん?
“感情”を“歌う”のなら
作詞作曲をして
歌い手になればいいのに
なにが
邪魔するのか
もし本当に
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