2020年8月4日火曜日

誰もいない これを聴きながら



モーツァルトのピアノ協奏曲は

モダンピアノよりもフォルテピアノによるものを

やはり好む

ワルシャワの古楽器楽団をバックに

ヴィヴィアナ・ソフロニツキが弾いたものの全集版が手元にあるが

やはりこれに落ち着いてしまうことになる

アニー・フィッシャーもいいし

クララ・ハスキルもいいが

フォルテピアノの魅力には全くかなわない

 

(それにしてもハスキルが弾く時

(背景のオーケストラにいつも不満を感じてしまうのは

(なぜだろう……

 

フォルテピアノによるモーツァルトをしばらく聴いてから

アンリ・デュティユの交響曲No.1No.2に移ったが

これらを聴くのはひさしぶり

三軒茶屋にいた頃以来まともに向かっては

いなかったのではないか

色彩豊かな花火の連続のような時間が続くが

これを共有できる人は

一定数どこかに散って存在している現代音楽マニア以外には

もうこの世には誰もいないだろう

13歳から作曲を始めていながら

フランス放送勤務中には日に3時間しか作曲時間を取れなかった彼

控えめでもあれば

自分の創作に非常に厳しく自己批判的でもあって

主義や前衛やラディカルさを気取るのを一貫して避け続けたが

これは現代音楽における異色の音響の豊饒さを生み出した

 

ヒンデミットの「ヴィオラのためのソナタ」を

いま掛けはじめてみて

そういえば

これも聴くのはひさしぶりではないか

聴かないでいた五年以上の歳月の

全くの音楽的空しさを思う

キム・カシュカシャンとロバート・レヴィンの演奏だが

誰もいない

これを聴きながら

これについて

凝って淹れたコーヒーを淹れながら

あるいはコーヒーなしで

批評の鋭さを競いあうようなおしゃべりを交わせる相手も






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