フェーリクス・クルルはこう言っている
「私には特別、旅行欲というものがないのです。
同じことを言いたくなってしまう
なるべく
言わないが
時には
必死に言わないようにするが
瞬間移動ができるなら
旅もいい
だが
それができないなら
やってみたい旅と
現実の旅とは
まるで別物
プラスチックの椅子に座り
プラスチックのぐらぐらのテーブルに
プラスチックトレーを置いて
紙コップに入れられたうまくないコーヒーを喉に流し
プラスチックのフォークでつまむ
くにゃくにゃの成型肉のかたまりを見ながら
こんなもののために
旅の幻影を受け入れてしまったのか
と
思った
なんども
もう
十分すぎるほど
旅はとうに終わらせている
未来永劫終わらせている
まだまだ
何十回も新幹線に乗り
TGVに乗り
飛行機に乗り
巨船に乗るとしても
ちょっとお手洗いに……
と
呼ぶことに決めている
旅の
たぐいは
さらに度の増すばかりの
大衆時代
なんでもかんでものコンビニ化時代
チープ素材の大量生産時代
の
旅など
そう呼ばれるのがふさわしい
ちょっとお手洗いに……
そこまでの
そこからの
行き来の廊下が
どんなに長かろうが
ちょっとお手洗いに……
*トーマス・マン「詐欺師フェーリクス・クルルの告白」(
[Thomas Mann:Bekenntnisse des Hochstaplers Felix Krull, 1954]
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