2020年9月26日土曜日

二度と戻って来なかったわたしたちだけのお話


 

大学生活も終わりに近い頃の

ある日

晩秋だったか

初冬というべき頃だったか

 

一日じゅう雲に覆われていた暗い暗い日で

本当に暗い暗い日で

昼の休み時間に学食やレストランに向かうにも

食事を終えて学食やレストランの出口から

みなそれぞれ

どこかの教室へ足早に向かうにも

やはり暗いままで

 

―なんだか不思議な暗さの日だね

―冥界というのはこんなふうだというよ

―まるで魂の太陽の昇らない長い待機の時みたいだね

―デューラーが「メランコリア」に描いたような…かい?

 

などと

よく話す連中としゃべりながら

三限には受けるべき授業がなかった私は

一時間半ほどをどう潰そうかなと思いながら

とりあえず学生ラウンジに行って

読みかけの本を少し読もうかと思ったりしていた

 

その時に結局学生ラウンジに行かなかったのは

ラウンジに向かう径でひとつの小さな邂逅を遂げたから

向こうからゆっくり歩いて来る見知らぬ人と目が合って

すれ違って行き過ぎさえせずにたがいに向かいあって立ち止まり

 

―あゝ……

―あゝ……

 

と似たような声を洩らし

会うべき人に会うべき時に会ったとたがいにわかり

無言のまゝ

名も名乗らず

笑みも浮かべず

どこへ行こうかとも決めずに

そのままキャンパスから連れ立って出て行った

永遠に

 

ブックバンドでまとめた大判の数冊を

その人は胸に抱き締めるようにしていたので

―そんなに大事な本?

と聞いたのが

始めてかけた言葉だった

―ええ、たぶん、あなたにとって

と返してきたのが

始めて聞いたその人の声だった

 

この時のことも

この人のことも

その後に会い続けた大事な人たちの誰ひとりにも

まったく

話したことはなかった

隠そうとしていたわけではなかったけれど

誰も聞かなかったし

話す機会もまったくなかった

人生の海岸線のうちの

小さな小さな隠れた湾のような出来事で

他の湾にむかってや

ましてや沖合いにむかっては

示しようも

語りようもない

小さな小さな場所の

透明すぎるお話

 

しかも永遠に

連れ立って出て行ったきりの

わたしたちの

お話

 

二度と戻って来なかった

わたしたちだけの

お話




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