2020年11月1日日曜日

東福寺北庭の市松模様庭園

 

 形式にとりあえずは嵌まってもみること

しかしもちろんいずれは徹底的に嵌まらないためにということ

形式を嘲笑して書き破り書き破っていくこと

 

わたしは長いことそのようにして書いてきたがそれは

そのように書いていくことに賛成はしなくとも理解を示し

なぜ反抗し続けるのかを見抜ける人々がいたからのことだった

 

全共闘世代が醜い詩観でなおも支配し続ける詩壇の僕にはならぬよ

なにがあっても詩集歌集は出さないという決意は

大岡信に弾圧された早大文芸専修主事江中直紀教授の志を継ぐものでもある

 

理解者、見ぬく者、彼らのほとんどはもう書くことをやめ

あるいは死に

対抗しながら理解しあう人々は地上からほぼ消滅してしまって

この2020年10月

わたしはもうなにも書く必要はなくなったのを全身で感じ

書くのを停止した

 

爾後は書かず考えず感じず

ただ言葉を言葉たちの呼びあうに任せて並べていったり

敷石していったりするばかりで

東福寺北庭の市松模様庭園の石のように

幾何学模様がはじめは顕著であったにせよ

やがて曖昧になって苔の中へ

人為の消滅するところへかたちを無くしていくがままになるように

力を加えずに散らしていくばかりだろう

 

借歌

 

以上簡潔に手ばやく叙し終りうすむらさきを祀る夕ぐれ

岡井隆

 

以後のことみな乱世にて侍ればと言ひつつつひに愉しき日暮れ

安永蕗子





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