忙しすぎて
ふだんは浅い眠りのまま
日々を過ぎ
週から週へと過ぎ
月から月へと過ぎていくわが地球滞在だが
たまに深く寝入ると
無限の夢見が間断なく意識内には押し寄せて
目が覚めた時も
この世の現実なるものの認知が
瞬時にはまったくできなかったりする
しかし
そんな睡眠体験を続けてきて
ある時点から確信するようになったのは
この世の現実なるものなどすべて
夢という意識内創作物のための素材に過ぎないということ
映画撮影ではまず現実の風景や人物を素材として撮り集めるが
われわれ人間は究極の夢作品を創るためにだけ
現実の風景や人物やさまざまな状況を撮り集める
つまりすべては意識内での夢作品のための人生でしかなく
地上滞在や地上体験でしかない
ネルヴァルは「夢は第二の人生である」と書いたが
そうではない
「夢こそ唯一の人生である」と言うべきなのだ
夢作品以外の地上でのどんな人生にも意味も価値もない
それらは素材を提供する巨大な素材プールでしかない
もっとも完成度の高い夢作品はおそらく肉体的死の直前の
肉体的に衰弱しきった意識内で上映されるヴァージョンであろう
その一点に向けてのみ地上的生のあらゆる瞬間は存在する
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