2021年1月24日日曜日

なにもかもあの猫のせい

 

 

元日の猫に幹ありよぢ登る

 

西東三鬼の句だが

読んで

以前住んでいたところの近くの

どこかの会社の寮の庭を思い出した

 

芝生に

いくつも木が植えられている

梅のいい木もあって

春先にはずいぶんと花を咲かせた

 

その地に越して

ほどない頃

季節はいつだったか

まだ夕方にならない早い帰宅時のこと

わたしの後ろから猫がたいへんな勢いで駆けてきて

わたしを追い抜いて

その会社寮の庭に走り込んでいったかと思うと

背の低い松の木に一目散に駆け上がって

途中で止まり

幹を両の前足で

たいへんな勢いでガリガリ引っ掻き出した

しばらく引っ掻いたかと思うと

バタッと木から飛び降りて

また一目散に庭から駆け出て

道路を渡ると

むこうのどこかへ走り去ってしまった

 

ただそれだけのことなのだが

どうしてあの松の木なのか

どうしてあんなに急いで飛びついて引っ掻いたのか

その時もわからなかったが

あとになってもわからず

わからないまま

そこを通るたびにその松の木を見ては思い出し

滑稽なまでに一目散だった猫の様子があざやかに浮かんで

いつも自然と笑ってしまう歳月が続いた

 

もう引っ越してしまって

その松を見ることもなくなったが

今では他の地でちょっと背の低い松を見ると

どんな松であれ

自然と笑い顔になってしまうのだから

松のほうも迷惑だろう

 

松のせいではないのだが

わたしのせいでもないのだから

松は気を悪くしないでいてほしい

カミュの『異邦人』でムルソーは

「私のせいではないんです」というが

まったくもって

わたしのせいではないのだ

なにもかも

あの猫のせいだ

「太陽がまぶしかったから」ではないが

あの猫が一目散に松に飛びついて

たいへんな勢いでガリガリやったせいなのだ





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