そのころぼくは
まだ
自由詩形式の書きつけを
百
ぐらいしか
していなかったと
思う
短歌結社で
毎月会っていた左海正美さんに
飲みながら
自由詩形式も書いてみたりしている
と話したら
へえ
駿河くんも書くんだ
ぼくも長い詩を書いたことがある
こんど見せてあげる
と言って
クジラについての長い詩を
翌月に見せてくれた
長いといっても
原稿用紙で20数枚程度だが
あまりにおもしろくなかったので
やっぱり
長いといえば長かった
吉本隆明の詩の影響を受けたんだそうで
だからこそ
いっそう
おもしろくなかった
吉本隆明ってのは
詩人だってことになっているが
あれほどダメな詩もない
短歌も作っているが
どうにもこうにも
もうほんとに
どうしようもない短歌だ
いやぁ
長いですね
よく書きましたね
などと
返したが
まぁ
こんなものが
詩歌のつきあいというもの
飲むときは
つねに鯨酔する人で
目が覚めると
都内の大きな駅の通路で寝ていて
朝で
右も左も
通勤ラッシュの人の足ばかりで驚いた
とか
深夜に
川の土手を自転車で走っていたはずが
いつのまにか
朝になっていて
気づくと
土手に倒れていて
歯が折れて口や顔が血だらけになっていた
とか
なんだ
かんだと
強烈な人だった
昭和のど真ん中の人だったのだ
ながくやっているのに
短歌はあまりうまいとは思えなかったが
とにかく
包容力があって大きな人だった
クジラの詩を書くだけあって
なんでも心に飲み込んだ
ひたすら黙って飲んでいる人だった
子どもが五人もいる家庭だというのに
歌会のある日はいつも愛人といっしょで
ひとしきり飲み終わって
ふらふらするほど酔っ払うと
愛人といっしょにどこかへ消えていく
その愛人もお化粧っけの全くない
元ロシア文学科卒の編集者で
愛人というより
どこまでも素のままの
田舎のおばちゃんのようだった
お化粧っけのない
えんえんと持続する愛欲関係というものも
どうやらあるらしかった
正美
というペンネームは
どこから?
と聞くと
堀川正美から取った
と言われた
ぼくはその頃
堀川正美をろくに読んでいなかったので
ある意味
左海正美さんから
そのあたりを読むきっかけを
与えられたようなところもある
…かな?
ぼくはそこの結社を離れたので
左海正美さんのその後を知らなかったが
案の定
すっかり肝臓を壊して亡くなったと
なにかの折りに
聞いた
田舎のおばちゃんのような
化粧っけのない愛人も
数年前に
自宅での事故で亡くなったと
聞いた
左海正美さんは
円空仏のような彫り物がうまかったが
もらった一体は
いまでも持っている
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