だれにも求められていない言葉ならべを
こうして
してみているだけだから
なにかを他人にどう伝えようかと
悩むことは
ぼくにはない
そもそも
なにか使えたかった人たちは
もう
みんな死んでしまったし
それでも
言葉をならべようとして
言語野と呼ぶのか
脳の言語担当のあたりを起動させはじめると
なんらかのイメージを伴った言葉や
イメージより物語っぽいなにかを伴った言葉や
ずいぶん曖昧にしか覚えていない言葉などまでが
目に見えない意識の網に引っかかってきたり
すり抜けていったりする
そんな時間が
いちばん楽しいのかもしれない
だから
だれにも読まれないのがわかっている
こんな言葉ならべを
飽きもせず
いつもいつも
続けてきているのかもしれない
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