2021年3月25日木曜日

反歌も


  

悲しんでも

怒っても

喜んでも

嬉しがっても

なにをどう巧みに考察しても

あるいは拙く省察しても

 

どうせ

誰もわたしの思いには

目もむけない

耳もかたむけない

反論であれ賛同であれ

ことばも

声も

返してくれない

 

こんなことを

じわじわと

痛切に

時にはしみじみと

思い知っていくだけの人生であり

人づきあいだったと

十年ほど前から

わたしはわたしの宿命として

受けとめるようになった

 

わたしだけの宿命では

ないのかもしれない

世の中が悪い

社会が悪い

国が悪い

人心が悪い

などと洩らすのは

子どもじみた愚かな嘆きだと

世間では言われるのが通例だが

いまだ

大変な放射能汚染がある地域で

オリンピックの聖火ランナーが走り始めた

などと聞くと

世の拗ね者のつぶやきのように

引かれ者の小唄のように

こころして

嘆き直したい気にもなる

やはり

世の中が悪く

社会が悪く

国が悪く

人心が悪いのだと

日本人のひとりひとりが

ほんとうに

どうしようもないほど

悪いのだと

 

そうして

もう若くもなく

あまりに多くの醜聞と

汚辱と

酷薄と

無責任と

非人情と

軽薄さと

表だけの取り繕いを見てきたものだから

嘆き節に

反歌もつけ加えておこうと思う

 

なにがどうなろうと

この国は

もう

絶対に更生することはないと

 

他人より

ほんのちょっとでも小金を稼ぎ

ほんのちょっとでも差をつけ

ほんのちょっとでもお大尽人脈にコバンザメし

ほんのちょっとでもより多くの安定と

安楽と安心とをわがものとするためだけに

人も土地も空気も水も売り払い

地位の上の者には這いつくばって利益を得ようとし

少しでも油っこいものを

少しでも多くのアルコールを

少しでも多くのキラキラしたものを

身に引き寄せようとするのだけが日々の信条という

そんな人びとだけのうねりで

揉まれ続けているだけの列島だから

もう

本当にどうしようもないのだ

巨大な天変地異でまるごと滅びるしか

ないのだ

そんな滅亡ののちでさえ

どうせ芽吹いてくるのは同じような輩だから

遠い未来にさえも

なんの希望もありはしないのだ


はっきりしない声で

ぶつぶつ

不平不満のように

呪詛のように

怨念のように

妄言のように

かすかな音を並べるだけの

反歌も



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