たぶん
高校時代に同級生だった
高木くん
髪の毛がちょっと薄くて
女の子ふうな感じの
すこし長い顔で
華奢で
小さめで
ちょっと猫背だった
昔もいまも
じつは
小説にしか興味のないぼくは
おなじクラスになった高木くんと
―へえ、詩を書いてるんだ!
―へえ、小説を書いているんだ!
とことばをかわしあい
いっしょに雑誌でも作ろう
と決めた
なにせ
ガリ版刷りするのだ
小説なんて
短編だとしても
ガリガリ文字を記していくなんて
いっぱいすぎて面倒くさいから
詩なんて書かないぼくも
そんじゃあ
詩にすっかナ!
と詩にした
ちょうど
ランボーを読んだばかりで
小林秀雄訳と堀口大學訳とを
あれこれ
読みくらべ直したりしていたから
そんじゃあ
『地獄の季節』ふうに
書いたるかナ!
と
書いたった
絵画とか書くこととかでは
生まれつき
やけにマネがうまいので
小林秀雄訳ふうの
ランボーふう
なんざ
オチャノコサイサイだった
そんな借り物文体で
あろうことか!
詩への訣別を歌ってやったのだ!
まだ17歳だったが
ランボーは20歳で詩に訣別したから
ぼくのほうが
ちっとだけ早かったぜ!
といい気持ちだった
高木くんは
「瑞枝」という詩を書いた
春の木の枝先の芽がウンヌンというところへ
関わりを持ちたくても
持てなかった女の子を絡ませた
やけにメメシイ感じの詩で
軟弱とか
文弱ってことばは
こういうヤツのためにあるんだな
などと思ったが
―ふうん
とか
―繊細だね
とか
―やわらかいところを見ているんだね
とか
なんとか言って
褒めているような
誤魔化しているような
それとなく馬鹿にしているような
後年おおいに役立つことになる技術のエグゼルシスを
はじめて
やってみていた
どうみても
立原道造ぶった詩なのだが
道造してるよねえ!
なんて言ったら
傷つけちゃうかもしれないと思って
言わないでおいたものの
ひょっとして
道造してるよねえ!
なんて言ってやったほうが
高校生相手にはよかったかもなア
と思わないでもなかった
こっちだって高校生なのだが
なんだか高木くんは
若者の脆弱さをよく体現していて
ちょっと気を遣わないではおれないような
そんなところがあった
なんせ
華奢で
小さめで
ちょっと猫背で
髪の毛がちょっと薄くて
女の子ふうな感じの
すこし長い顔の
高木くん
だったから
続けてもよかったし
続けられもしたはずだが
おたがい毛色が違うと感じあったためか
雑誌はたった一号で終わり
それ以降
たがいの書き物を見せあったりさえしなくなり
それどころか
連絡もとらなければ
おたがいの消息もたがいに全く気にせず
卒業後もほとんど思い出しさえしなくなったが
詩
といえば
高木くんの
あの「瑞枝」だなア
とは
いまでも
よく思ったりする
髪の毛が
なァ
高校生にして
すでに
ちょっと薄かったからなァ
いまごろは
きっと
剥げちゃってるだろうかなァ
とは
思う
ものの
高木くんは
目が
きれいだった
その後の歳月
何人もの詩人たちに出会ったが
高木くんほど
きれいな目をした詩人に出会ったことは
一度もない
0 件のコメント:
コメントを投稿