現実が一つ崩れたあとも、すぐに別の現実が結晶しはじめて、
新たな秩序を作りだすという観念に、いつのまにか
馴れはじめている自分に気づいた。
三島由起夫『奔馬』
「不仕合せの時草臥るる者は益に立たざるなり」
と
『葉隠』にはある
はなはだしい表現矛盾にもかかわらず
この土俗社会によって
自粛を求められ
強いられ
家に閉じ籠もりがちになるのを余儀なくされて
パソコンばかりに向かわされて
間接的な教えや指示を受け続けの学生たちともずっと
関わり続けているが
中には
こんな状態をずいぶん真に受けて
疲れてしまったり
やられてきてしまったりしている者もいる
そんな学生たちに
個別に
ひそかに
こんなことを言い添えることも
ある
理性や知性に関わる「勉強」は、どちらにしても「閉じ籠もる」
学生にとっては、じつは、今のような時期というのは、
情報過多も極まり、
あなたが法学部だからということでもないけれど、
教科書にまとめられた説明など、嘘っぱちですからね。
原典にはまったく違う印象があり、
自分の頭の中に、
コロナの嘘やインチキも、ぜひ、
今はナチス政権下のような情報戦争状態にじつは入っています。
ウルリヒ・ヘルベルト「第三帝国」などを参考にしながら、
ナチス時代とソ連のスターリン政権下の社会の検討は、今後、
テレビや御用コメンテーターや御用学者、
そういえば
『易経』第二十九の卦〈習坎〉
には
こうある
「困難に出会った際、人が誠実であれば、
また
ジョン・リリーは
『サイクロンの眼』で
こう言う
「われわれは、われわれ自身をこえて成長するために、あるいは、
また
カルロス・カスタネダ『ドン・ファンの教え』で
ドン・ファンは
「その道はこころheartを持っているか?
その道を歩み続けるとか、
その道はこころを持っているだろうか? もしそうであれば、その道はよきものである。
もっとも、どちらの道もどこへもみちびきはしない。
しかし、一方はこころを持っており、
そうして
もちろん『老子』(上篇、第十二章)
では
「賢者は感じるところに従い、見るところには従わない。
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